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武将名 徐栄 官職 武官 兵種 騎兵 コスト 1.5 能力 武力5 知力4 征圧力1 特技 勇猛 将器 知力上昇 突撃術 速度上昇 計略 火事場の馬鹿力 武力が上がる。この効果は自軍の城ゲージが少ないほど大きい 必要士気4 武力+? 効果時間?c Ver1.0.0C
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難易度 目標 日数 担当勢力 敵勢力 普 100日間、曹操隊が壊滅しないまたは、現在出陣中の部隊のみで函谷関、潼関、武関、新豊港を陥落させる 100日 曹操 董卓 基本方針 初級者のための追加説明 PS2PK攻略チャート 基本方針 隅に陣取って、ひたすら撹乱連発。金を持っている曹操軍で軍楽台を建設し、周囲に固まって撹乱でしのぐ。誰が誰を撹乱するか慎重に吟味することが大切。 意外と厄介なのが弩の曹性や賈詡。貫矢をされていつのまにか軍楽台が壊されることがあるので、耐久に気を配っておく。 偽報連発で敵部隊を潼関の向こうに追っ払う方法もある。味方ZOCに注意しながら潼関付近で偽報。全員追っ払うのも可能だが頃合を見計らって潼関前を味方部隊で蓋してもいい。 賈詡にはまず偽報が効かないので無視かタコ殴り。徐栄のみ函谷関から出陣してるので注意。 初級者のための追加説明 ■攻略のテーマ「撹乱相手を吟味しよう」■ 2つの関がある方が上だとしたら、軍楽台(気力回復)の設置場所は 【左下隅っこ】。R3押し込みの方角調整なら、南西。 山を背にして、できるだけ攻撃される方向を絞ろう。 とはいえ、敵の弩による削り攻撃が痛すぎる上、たまにコッチの方が 混乱させられるので、本当に計略だけで凌げるのか不安になる。 特に恐ろしいのが【賈詡】。曹操でも撹乱がほぼ効かない上に、 強力な弩兵戦法を使ってくる。また、下手に仕掛けて失敗すると 特技「反計」が発動しこちらが計略にかかることもあり危険。 個人的には、難易度は結構高めのシナリオだと思うけど…。 軍楽台は、唯一金を持っている【曹操】の部隊でしか設置できず、しかも1ターンでは完成できない。 誰かの補修が必要で、できれば1ターン目に完成させておこう。 いきなり計略要員が減るのが辛く、このシナリオの難度を高めている。 知力の低い呂布は【誰でもほぼ確実に計略が成功する】ので、標的の選択時には最後にとっておき、成功率と相談しながら、 誰が誰に計略をかけるか慎重に選ぼう。曹操は張遼担当になるのか。 さて、使う計略だけど、敵が右往左往する偽報は見ていて面白いけど、普通に【撹乱】で。 その場に立ち尽くして大渋滞を作ってもらった方が、壁代わりになってもらえて安心。…弩兵部隊は容赦ないけど。 ちなみに、偽報にやられた敵は、関に入って引っ込んでくれればありがたいのだが、残念ながらそのまま素通りして城を目指しちゃう。 当然、途中で正気になって帰ってくるので注意。 PS2PK攻略チャート 全員生存しつつ、100日間耐える場合のチャート。必ず順番通りに行動させること。 楽進は張遼か高順の撹乱でたまに混乱することがある。 多少チャート通りにいかなくても近くにいる兵数の多い部隊を混乱軍楽台は予定ターンに補修、侯成は逆に生かさず殺さず、最低1から2回は賈詡に火矢(勿論炎上)でOK 1ターン目 1.曹操 徐栄の北西2マスへ移動し、北東に軍楽台建設 2.曹仁 軍楽台の南に移動し、呂布に撹乱(成功) 3.曹洪 曹操の南に移動し、徐栄に撹乱(成功) 4.楽進 曹操の北に移動し、軍楽台補修(完成) 2ターン目 1.曹仁 その場で郭汜に撹乱(成功) 2.曹洪 その場で侯成に通常攻撃(連戦発動) 3.曹操 その場で徐栄に撹乱(成功) 3ターン目 1.楽進 その場で曹性に撹乱(成功) 2.曹仁 その場で徐栄に撹乱(成功) 3.曹洪 その場で侯成に通常攻撃(連戦発動) 4.曹操 その場で張繍に撹乱(成功) 4ターン目 1.曹操 その場で張繍に撹乱(成功) 2.曹洪 その場で徐栄に撹乱(成功) 3.楽進 その場で郭汜に撹乱(成功) 4.曹仁 その場で呂布に撹乱(成功) 5ターン目 1.楽進 その場で郭汜に撹乱(成功) 2.曹洪 その場で徐栄に撹乱(成功) 3.曹操 その場で張繍に撹乱(成功) 4.曹仁 その場で侯成に通常攻撃 6ターン目 1.曹洪 その場で徐栄に撹乱(成功) 2.曹操 その場で郭汜に撹乱(成功) 3.曹仁 その場で軍楽台補修 7ターン目 1.曹操 その場で郭汜に撹乱(成功) 2.曹洪 その場で徐栄に撹乱(成功) 3.曹仁 その場で賈詡に火矢(成功) 8ターン目 1.曹操 その場で侯成に撹乱(成功) 2.曹洪 その場で張繍に撹乱(成功) 3.曹仁 その場で郭汜に撹乱(成功) 4.楽進 その場で曹性に撹乱(成功) 9ターン目 1.楽進 その場で曹性に撹乱(成功) 2.曹操 その場で徐栄に撹乱(成功) 3.曹洪 その場で張繍に撹乱(失敗) 4.曹仁 その場で張繍に撹乱(成功) 10ターン目(ラスト) 1.曹操 その場で徐栄に撹乱(成功) 2.曹仁 その場で郭汜に撹乱(成功) 3.曹洪 その場で侯成に撹乱(成功)
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プレイ日記 英雄集結 上級 董卓 「魔王董卓の殺伐たる天下取り」 ふと、1プレイで何人を殺せるのか挑戦しようと思い、殺した武将の記録としてプレイ日記をつけてみました。 環境はPSPK、上級で英雄終結の董卓でプレイ。サクサク進めたいので上級にしました。 戦死は「多い」、在野配置を「仮想」としています。 追加武将は有りで、我が勢力には董白ちゃんがいます。 さて、縛りやら条件についてですが、 1、捕まえた武将は一発登用に応じない限り基本的には処断する 2、だが相性が125~25の武将は3人まで捕虜にでき、一人につき3度まで登用を実行可 3、主将はできる限り李儒、華雄、徐栄、李傕、郭汜、樊稠、胡軫らの初期メンバーを使う 4、鍛冶はたてない の以上4つです。正直4つめがきついかも。またプレイしながら追加や削除するかも。 董卓「さて、では我が軍も天下統一を目指すとする。状況はどうなっておるのだ」 李儒「は。武威に馬騰、天水に韓遂、長安に何進がおります」 郭汜「厄介なことに3勢力ともに我が方を狙っております」 樊稠「さらに敵方には名の知れた将が幾人もおり、状況は幾分不利と申せましょう」 董卓「ふむむ、おのれ、我らが騎馬隊で蹴散らしてくれようぞ」 徐栄「お任せください、我らが必ず董卓様を勝たせてご覧にいれます」 董卓「よし、必ずや天下を取ってみせよう。だが、天下を取る際に反乱を起こされてはたまらぬ」 李傕「反乱ですか」 董卓「左様。なので信頼のおけん奴は皆殺しにする」 李粛「な、なんと…」 董卓「信頼のおけるのはお主たちだけじゃ、励めよ、者ども」 李郭樊華徐「ああっ、とうたくさまっ」 李儒「では参りましょうか。おや、どうなされた胡軫殿」 胡軫「いえ、別に……(言えない、張済殿が既に裏切って張繍の宛にいるなんて言えない)」 というやり取りがあったと思うので、勝手ですが李傕、郭汜、樊稠、華雄、徐栄の5人は董卓に親愛をつけました。 また李傕と郭汜も互いに親愛をつけました。 第1回 このゲームは序盤が楽しいので、最初は詳しく書こうと思います。 251年1月 プレイ開始と同時に市場を建てる。しかし、ここで愕然とする。 期待の李儒を使っても30日かかり、その他ではもう論外なのだ。これでは半年後の敵襲に間に合うか微妙。 それでも董卓、李儒、董白の特技により思った以上にお金と兵糧が入る。 6月。市場5つと農場3つ、兵舎と厩舎1つずつを建てたところでついに韓遂の天水から兵が向けられる。 と、思ったら武威からも。そしてなんと長安からも兵が来るという知らせが。 施設を建てたばかりで徴兵してる暇もない。困っていたら、幸いなことに安定の東の荒れ地で馬騰軍と韓遂軍がつぶし合いを始めたのだ。 というわけでまずは長安からの何進軍のみを迎撃することになった。 軍立ては何進の衝車10000、朱儁の戟兵5000、皇甫嵩の弩兵6000、そして廬植の弩兵6000という精鋭だ。 一列になって城に近づいてきたところにまずは火球を1発あてる。慌てて散開した敵を騎兵で突撃をかける。 こちらは華雄、徐栄と胡軫、董卓と樊稠、李傕と李儒、郭汜と牛輔が全て騎馬で5000ずつ。 華雄「敵将、見つけたぞ。勝負勝負」 廬植「匹夫め、うけてやろう……ってぐわぁぁ」 と、最初の華雄の突撃で発生した一騎打ちで軽傷の廬植を一撃。プレイ最初の処断者は廬植先生であった。 廬植の部隊が消滅したので後は楽だったが、途中で長安から王匡が5000の弩兵で援軍に来る。 これを攪乱と親愛によるタコ殴りで撃破し、王匡を捕獲。そして処断。他には逃げられる。 このころ、西はというと、馬と韓がつぶし合い、そこを抜けてたどり着いたのを各個撃破。ここで馬休を処断。 戦争の合間には「お楽しみ」の在野探索をする。毎回毎回、最初の都市で誰に会うかワクワクするのが楽しいので在野は仮想配置にしているのだ。 さてさっそく探索してみる。見つけたのは以下の通り。まず陸凱。風水もちの政治77である、欲しいが登用できず。 そして次に出てきたのは楊修。これも登用できず。うーん、まあ仕方ないのでもう一度探索し、郭攸之と李豊(蜀)を見つける。もちろん登用できず。今回ははずれのようだった。 252年1月 気を取り直して、内政と徴兵など軍備を整える。ここで天水の韓遂が張魯に攻められていることに気付く。 3月。35000の兵と30000馬を用意できたので、5部隊25000で武威を攻めて後顧の憂いを絶つことに。 武威の馬騰軍は我が軍と韓遂軍にフルボッコだったので兵力は12000となっている。 それでも城は耐久が3600と高いので火球を用いることにする。こちらの組み合わせは董卓と牛輔、華雄と胡軫、李傕と李儒、徐栄、郭汜が各5000ずつ。 武威に侵入したところで、馬雲緑と馬岱の騎馬4000が突っ込んでくる。親愛のフルボッコをして撃破。ここで馬岱を捕獲。好きな武将だが今回は処断。 さらに馬騰が自ら騎馬2000で突っ込んでくるがこれも撃破。 そしていよいよ城にとりつき、火球と火計で攻撃。6月、武威陥落。 ここで捕らえた武将は以下の通り。馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横、王韜、閻行、成公英。 登用に応じたのは王韜、閻行、成公英。あとは残念ながら処断。 2都市を有したので官職が進む董卓であった。 今回の犠牲者 14人 廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横。 第2回 まず初めに縛りを訂正、追加したいと思います。 2つめの「捕虜一人につき3度まで登用を実行可」は意味がないことに気付いたので、 「捕虜は1度だけ登用を実行可で、断られたら解放し、再び捕らえた場合は即処断」と訂正します。 さらに「褒賞コマンドは半年に1回で、裏切った武将は優先的に捕獲を狙い、即処断」も追加します。 董卓「ふはは、馬騰なぞ不足な相手であったが、これでわしも州刺史であるな」 李傕「おめでとうございます、馬氏一族郎党は根絶やしになりました」 郭汜「我らの官職も進めて頂けるとうれしゅうございます」 董卓「うむ、うむ、よい、よい、任せておくのじゃ」 李儒「ですが天水の張魯軍40000と長安の何進軍20000は未だ脅威でございます」 樊稠「我が方は安定に10000、武威に23000、軍備を急がねばなりませんな」 董卓「では、面倒くさいが更地の武威の内政をせねばならんな」 李粛「しかし我ら、内政はあまり……」 徐栄「では内政のできそうな人材を集めつつ、兵を鍛えましょう」 董卓「うむ、徐栄の言は良い。者ども、徐栄の言うように動くのじゃ」 李郭樊華「ははっ……(徐栄殿、褒められるとはうらやましい)」 李儒「では、内政にとりかかりましょう。おや、どうなされた胡軫殿」 胡軫「いえ、何でも……(言えない、董卓様のせいで人材が集まりにくいなんて言えない)」 というやり取りがあったと思うので、今回は人材を求めつつ内政をして、長安か天水の攻略を目指します。 252年7月 武威。馬氏皆殺しの武威。殺伐とした武威。内政が更地の武威。 ここは開発地が多く、端の都市なので生産拠点としてこの都市だけはしっかりと開発しておかねばならない。 しかし、黄巾よりはマシだがメンバーが貧弱であった。まず市場と農場を充実させることから始め、厩舎と兵舎を建てていくのだが、これに非常に時間がかかった。 それでも閻行、王韜、成公英が仲間になったことは大きい。なんとさらに彼ら3人がそれぞれ一人ずつ武将の登用に成功してくれたのだ。 まず登用されたのは陸凱である(前回、陸績とごっちゃになっていた)。彼の政治力は頼もしい。 次にやってきたのは楼玄。だれだ、って感じもしたが祈願もちで留守番役に最適であろう。 そして極め付けが大エースの丁儀の登用であった。顔グラ、経歴、能力ともに文句なしの2流以下でプレイヤーの好みである。 彼らを加え、武威では盛んに内政が行われた。 さらに能力研究や武将育成を行い、董卓などの魅力(←今回、重要さを実感した)、武力を上げる。レベル1や2の兵舎とはいえ、3人がかりでも1500程度しか徴兵できないのは辛いのだ。 兵を募る間は暇なので工房を建てて兵器を作る。だがこれも完成まで合計100日はかかった。 252年11月 そのころ安定城は太守の樊稠以下、董旻、牛輔、李粛の四将が守っていた。鍛えがいのありすぎる奴ばかりの素晴らしいメンツが揃う我が軍の本拠である。 さて、その安定城の廊下を李粛が走っていく。 李粛「た、たいへんでござる、樊稠殿。長安から大軍勢がやってくるようなのだ」 樊稠「なんと…。す、すぐに迎撃の準備だ。徴兵と訓練を急げ」 牛輔「おう、ようやく出番か」 と、いうことで何進軍が攻めてきたのだ。張魯軍は同時に攻めてこなかったのでそこは安心。 敵の軍容は、何進の孫の何晏の衝車5000、皇甫嵩の弩兵6000、朱儁の弩兵6000、張球と張承の槍兵5000、呉巨の騎兵5000という27000の大軍である。一方こちらは先ほどの四将と騎馬で15000しかいないのだ。さらに悪いことに、武威で内政を「長期」でやっているため、華雄や李儒、徐栄といった主力武将をこちらにまわせないのである。 敵に弩兵が2隊いるので太鼓台を建てた後に李粛が5000で城に残り、樊稠が5000騎、董旻と牛輔で5000騎を率いて出撃した。 戦闘開始。長安から安定は部隊が本道に一直線に並んでやってくるので火球を見舞う。 さらに安定城の右側は火種をいくつか作ってあり、そこへ李粛が兵1で火計をして道を火で塞ぎつつ、敵にまとめてダメージを与える。 たまらず本道の左側へ飛び出た敵部隊を火の中に戻すように突撃をかける。そこで太鼓台が鳴る。 牛輔「敵将、そこを動くな」 朱儁「おのれ、廬植将軍のかたき討ちをしてくれるわ」 朱儁は槍をしごいて突き掛かるも、能力鍛錬で武力を70まで上げた牛輔には敵わない。あっという間にゲージが減り、朱儁は討ち取られてしまう。朱儁隊消滅。 呉巨と何晏が消火にてこずっている間に、樊稠は皇甫嵩に突撃を繰り返し、火で負傷させる。しかし張球の槍兵によってこちらも被害を受け始める。 だがここで武威から回された華雄と胡軫、成公英が2000騎と1000騎を率いて援軍にくる。兵力1000の皇甫嵩隊に華雄が突撃し、皇甫嵩はまさかの轢死。 その後は成公英が攪乱を仕掛ける。あとはもうフルボッコであった。城の耐久を1300削られるも無事勝利したのである。 何晏を捕獲し、さらに張球と張承も捕獲。相性は22、29と124なので処断するか悩むも、プレイ日記を進めるために登用したいので捕虜にする。 張承は楼玄が、張球は成公英が、少し待ってから何晏を李儒がそれぞれ1発で登用した。 253年3月 安定の兵力補充と訓練をしつつ、周りの勢力を見てみる。 天水の張魯軍は50000で、所属武将は相性が董卓と近く、何より欲しい米道もちがいるのだ。 内政のきつい董卓軍としては開発済みの1都市に徴税、徴収、富豪、米道を揃えて物資を貯めた方が効率がよいと思われるからだ。 7月。在野の胡遵を登用する。その胡遵を加えて天水へ侵攻開始。 こちらは武威の兵力50000のうち43000騎。陣立ては董卓と胡遵と楼玄の11000騎が本隊、先鋒は華雄と張球(急襲)と「明鏡」をつけた李粛の7000騎、左に李傕と李儒の6000騎、右に郭汜と王韜の6000騎、董卓の後ろに成公英の衝車6000、最後尾に徐栄と陸凱の7000騎がつく。騎馬はこの矢印の形で進軍すると敵に対応しやすいと思うのでこう並べた。 天水からも迎撃軍がわらわらとインターセプトに出てくる。張魯軍は成宜や程銀の騎馬6000ずつや張衛や馬玩の戟兵が6000ずつ、張嶷や楊昂の弩兵が5000ずつという軍勢で、天水の真北で衝突した。 衝車を取りつかせれば勝ちなので、李儒などの攪乱で敵を足止めしたり、突撃で道を開けたりして敵中を突破、速攻で成公英が天水を落とす。天水城には閻圃と楊松しかおらず、相性から二人を捕虜にする。その後に部隊は反転して敵部隊を倒していく。華雄は厄介な張嶷にひたすら突撃して撃破、あとの奴らは攪乱をして殴るだけ。この戦いでは徐栄が成宜を捕獲して処断したのみだった。 254年1月 天水で内政と訓練を始めたところで、漢中から張魯軍が出撃したとの報が入る。見てみると漢中には60000近い兵、陽平関にも10000の兵がいて、次々と出撃していた。 馬玩 騎兵5000、楊秋 槍兵5000、張嶷 弩兵5000、羅憲 弩兵6000、李堪 弩兵5000、張魯 弩兵8000、程銀 戟兵5000、楊昂 衝車5000、費燿 井闌5000、楊任 井闌5000という60000近い大軍だったが、兵器が多く、二流武将ばかりなのが救いだ。対するこちらは43000から少し減り38000ほど。 出撃し、天水の東の狭くなっているところで迎撃する。張嶷と羅憲の弩兵が強く、火矢でかなり食らってしまったがまずこの2部隊を撃破。 続いて他の部隊を潰しにかかる。董、郭、李の親愛フルボッコで兵器隊を潰し、李儒が攪乱で足止め、徐栄や華雄が突撃を繰り返す。 ここで華雄が楊秋を捕獲したので処断。だがさらに漢中の西の桟道から李堪の井闌5000と羅憲と張嶷と王伉の弩兵5000が援軍でやってくる。 性格が猪突の李堪に郭汜が一騎打ちを仕掛け、勝利。もちろん処断。さらに華雄が羅憲隊に突撃すると王伉が戦死する。 最後に張衛を捕獲し、相性的に捕虜(3人目)にしたところで敵を全滅させた。天水城攻防戦は終了。 6月。長安からまたも何進軍がやってくるも、呉巨と董承の2隊という悲しい陣容。新加入の何晏は「機略」を持っており、攪乱からのタコ殴りであっという間に壊滅させる。 2将は逃がしたものの安定に凱旋した。と思ったら次のターン、季節の変わり目と加入後に即出陣したため何晏の忠誠が低く、張繍勢力に引き抜かれてしまったのだ。 こうして何晏は栄えある「董卓様推薦の殺しのリスト」の第1号となった。 255年3月 ようやく天水の内政もひと段落したが、兵舎や厩舎はまだない。なので安定から10000を輸送し、44000の兵力で漢中に侵攻することにした。 しかし内政中に捕虜の3将(閻圃、張衛、楊松)は逃げてしまっていた。牢番を鞭打ちつつ董卓軍出撃。陣容は徐栄と楼玄の7000騎、郭汜と陸凱の7000騎が先鋒となり、そのあとを李傕と成公英の衝車6000が進み、左右に董卓隊11000騎と華雄隊7000騎、後ろに李儒隊3000騎という形で陽平関に向かう。 陽平関は5000を率いて張嶷が守っている。矢がないので徐栄隊と郭汜隊が交互に殴る。はっきり言って耐久4000の関を殴るのは地味でだるい。兵力が0になり、陽平関は落ちるも漢中から援軍はない。敵将の張嶷は最後まで奮戦するも郭汜隊に捕まり、処断される。陽平関を抜けた途端に兵力20000の漢中から徐質が騎馬6000で突っ込んでくる。しかし、待ってましたと李儒に攪乱され、董卓、郭汜、華雄の愛の3連撃をうけて徐質隊壊滅。この時の華雄の突撃で副将の楊柏を轢殺し、同じく副将の馬玩を捕獲処断。華雄将軍おそるべし。徐質は相性は23なので捕虜(1)に。 それ以降は抵抗もなく、漢中は李傕の衝車隊により陥落。張魯軍はここに滅び去ったが、董卓軍が漢中を荒らしまわったせいか、施設が造幣1個しか残らなかった…orz さて、お楽しみの捕獲タイムである。 まず張魯を捕虜(2)へ、張衛が登用に応じ、閻圃も登用に成功。さらに楊昂が登用に応じた。張嶷の僚将であった羅憲は最後まで抵抗したので処断、他には程銀、侯選という韓遂の元部下を処断して董卓様は安堵。さらに内政官の秦宓と呂凱を処断、また反発した楊任も泣く泣く斬った。そして能力の良い費耀と火神もちの楊松とで悩んだが董卓様は使える駒をご所望なので楊松を処断し、費耀を捕虜(3)へ。最後に引き出されたのが、あの陳寿であった。彼には董卓様の横で歴史を記して欲しかったのだが董卓様は使える(ryなので処断。 こうして董卓軍は西の4都市を支配することとなり、董卓様はまた官職が進むのであった。 今回の犠牲者 17人 合計31人 朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿 指名手配 1人 何晏 第3回 まず初めに縛りの紛らわしい部分を補足させていただきます。 張衛や閻圃は一度捕獲した後に逃げられて、再び捕獲して登用しています。 これは本来なら即処断なのですが、二人とも一度目の捕獲時はまだ登用を実行していない内に逃げたので縛りにギリギリセーフとしました。 では、プレイ日記を書いていきたいと思います。 漢中城にて・・・ 郭汜「董卓様、州牧へのご就任、まことにおめでとうございます」 董卓「うむ、うむ、此度の一連の戦では皆の働きに満足しておる。この調子で頼むぞ、皆の者」 華雄「お任せくださいませ、董卓様。我ら一同、さらなる働きをお約束いたします」 李儒「さて董卓様、今後の方針ですが、まずは漢中の内政を整えねばなりませんな(チラッ)」 李郭華徐「ギクッ・・・(ソワソワ)」 李儒「というわけなので、新たに登用した閻圃などを中心にもう取り掛かっております」 董卓「さ、左様か、さすがは李儒であるな。では内政後の展開についてであるが」 徐栄「は。南の梓潼城には鍾会がおり、道は狭くて森が多く、我らには攻めにくい土地です」 李傕「一方、東の上庸城は張繍の勢力下であり、配下の胡車児が守っており、ここを攻めるべきかと」 董卓「おう、張繍のところには何晏がおるな。奴は斬らねばならん」 李傕「では上庸攻めの方針で我らは軍備に取り掛かるといたします」 董卓「よし、では鍾会とは同盟を試み、上庸を攻めるとする。李儒、よきにはからうのじゃ」 李儒「かしこまりました。では早速とりかかりましょう・・・おや、胡軫殿・・・胡軫殿?」 そのころ安定城では・・・ 胡軫「むむむ・・・」 樊稠「おや、どうなされたのだ胡軫殿?」 胡軫「樊稠殿か、貴殿は歯がゆくないのか?」 樊稠「ほう、どういうわけでござる?」 胡軫「我ら二将は先の天水の攻防から漢中の戦の間、この安定で留守番ばかりであったのだ。他の四将は戦で活躍をしているというのに、我らは守っているだけである。」 樊稠「なるほど、左様でござるな」 胡軫「左様でござるではないですぞ。董卓様忠臣七将のうちで我らの官職はあの李粛に抜かれてしまったではないか。我らも武勲のために長安を攻めるのだ」 樊稠「胡軫殿がそんなに大胆不敵だったとは・・・」 胡軫「大胆ではござらん、既に新兵器の井闌の準備を武威の閻行殿にお願いしてある。支度を急ぐぞ樊稠殿」 というようなやり取りがあったと思うので、方針として今回は「鍾会と同盟」、「内政後に上庸攻め」、「長安侵攻」の3本でお送りしたいと思います。 255年7月 漢中の内政を始める。もちろん結構な時間がかかることが予想される。 途中で費耀、徐質、そして張魯の登用に成功する。前回登用した閻圃、楊昂、張衛と合わせ6名が加わり、董卓軍は総勢26人となった。 特に楊昂、費耀、徐質は我ら騎馬軍団における3大重要特技の1つである「猛者」を持っているのだ。これは張魯軍の時に取得したものである。非常にありがたい。 喜んでいたら、伝令がやってきた。なんと鍾会軍が漢中に出撃したのだ。 軍勢は2部隊であったが率いている将が張任、厳顔という弓将である。前回、張嶷や羅憲の火矢で散々なダメージを受けたので、これを機に鍾会軍と親善を図り、内政要員フル稼働で同盟することに成功した。 一方、安定では徴兵と訓練を行い、武威太守の閻行が井闌と馬を輸送して、安定に合流していた。武威は董白ちゃんにお留守番をしてもらうとする。 10月。安定から出撃する。まず董旻が井闌6000を率いる。そして胡軫と楊昂の7000騎、樊稠と王韜の7000騎、牛輔の6000騎、閻行の6000騎があとに続く。 長安には20000の兵力があった。渭水を渡り、郿のあたりまで来ると長安から何進軍の迎撃隊が出てきた。 大将はおなじみの呉巨と董承で、それぞれ張松と郭攸之を副将としている。ここで胡軫軍の戦いの火蓋が切って落とされた。いや、むしろ胡軫軍の舞踏会が始まったのだった。 胡軫たちが踊っているのと同じころ、漢中城では上庸への侵攻準備を行っていた。 256年1月 年が明け、半年に1度の褒賞を済ますと内政は7割程度だが閻圃などに任せ、上庸に出撃する。 張繍は宛城で司馬懿軍と攻防が終わったばかりで援軍を出す余力はない。むしろ上庸を落としてそのまま宛まで進むつもりであった。 張繍軍にはどうしても欲しい人材が3人いるのだ。まず「騎将」もちの張繍と高知力の軍師賈詡、そして董卓の忠臣の最後の一人である張済の3人だ。 遠征軍は郭汜と成公英の衝車8000、華雄と李粛(明鏡)の8000騎、徐栄と費耀の8000騎、董卓と張球と胡遵の11000騎、李傕と李儒の8000騎で計43000である。 上庸城北西で迎撃に来た胡車児の戟兵7000、「槍将」李通の戟兵7000とぶつかる。 だが我ら騎馬隊は技巧研究で「騎射」まで習得しているほどの精鋭なのであっという間に壊滅させて2将を捕獲し、相性的に捕虜にした。 そのまま上庸城を攻める。張繍側も激しい抵抗をする、かと思われたが上庸に残されていたのは陶謙と廖立の2人のみあった。 落城と共に2人は捕らえられ、処断された。 董卓軍本隊が上庸を攻めていた2月。長安では樊稠隊がようやく何進軍軍師張松の偽報と攪乱の隙間を抜けたのだ。 もうめんどくさいので一騎打ちをしかける。 樊稠「敵将の董承と見える。いざ勝負でござる」 董承「おう、わしをなめるでないぞ、そりゃっ」 2将は剣戟激しく打ち合い、一騎打ちは長引くと思われたが、樊稠が攻撃コマンドのクリティカルに成功し、ここから一気に董承を撃破。あわれ勇将董承は処断されてしまう。 これを契機に何進の迎撃軍を撃破。董旻の井闌隊が城に迫り、攻撃を行う。長安城に戻っていた呉巨は城頭で奮戦するも捕獲され、大将軍何進もついに捕らえられる。 4月。ついに長安城は落ち、ここに何進軍は消滅した。捕らえた武将は何進、呉巨、張松、郭攸之の4人であり、全員が斬られたのは言うまでもない。 長安が我が物になったので気力を補充し、宛へ出撃しようとしている上庸に劉備軍が襄陽から攻めてきたという知らせが入った。 このころ劉備は江陵、永安、江夏、襄陽、新野を支配する大勢力であった。 さらにさらにまずい知らせが入った。先ごろ張繍との宛城攻防戦に負けた洛陽の司馬懿軍が、取ったばかりの長安へ大部隊を繰り出してきたのだ。 このまま宛を取っても帰り道の長安と上庸は取られている可能性が高い。敵中孤立はまずいので、上庸と長安の防衛の後に宛へ攻め入ることにした。 上庸へ来た劉備軍の軍容は虎将趙雲がなぜか衝車で、王平の弩兵、劉備の孫の劉諶の戟兵、朱異の弩兵、徐庶の槍兵など総勢30000であった。我が軍はこれを水際で迎撃する。 朱異と徐庶は港に入ったところを衝車と火計で撃破し、一気に10000を削る。次に趙雲隊を優先的に殴って撃破するも、捕獲はできず。 最後に王平隊、劉諶隊と殴り合い、弓の撃ち合いをする。王平は副将が廖化だったため逃してしまったが、劉諶は捕らえたので処断して劉備軍の攻撃隊を全滅させた。 また、この間に胡車児と李通の登用に成功していた。 上庸の本隊は劉備軍の攻撃で3000騎以上減ってしまっていたが、長安方面はそれ以上に悲惨であった。 なぜなら長安には司馬懿自らが騎馬隊でやってきたからである。さらにやや遅れて司馬昭の弩兵、楊肇の槍兵ほか衝車が2部隊続いている。 突出している司馬懿を倒せることに賭けて、胡軫、樊稠、閻行が突撃をしかける。怒涛の攻めで猛者の楊昂が司馬懿に重傷を負わせて壊滅させるも、残念ながら逃がしてしまった。 長安の董旻は物資を持って安定に逃げさせ、外にいる騎馬の3隊は空白の潼関を抜け、宛方面へ向かわせた。長安は司馬昭が落とし、司馬懿軍のものとなった。 このころ、宛の張繍軍には兵力が17000ほどしかなく、攻め頃であった。 向かわせたのは郭汜の衝車6000と華雄8000騎、徐栄8000騎である。宛からの迎撃隊は武関付近の胡軫たちへ向かっていたため、あっさりと落城。8月、張繍軍は滅亡した。 お楽しみの捕獲タイムである。于禁、邵悌が登用に応じ、君主の張繍、軍師の賈詡、鄒氏の3人を捕虜にした。 ここで気付いたが武関の張繍軍には張済と何晏がいたようで、部隊消滅により二人を捕らえることができなかった。残念無念。 その他に捕らえた武将は劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬で、もちろん処断した。 ここで、胡軫らもようやく宛城まで10日前というところで閻行隊3000騎が司馬懿軍に寝返り、武関を占拠するという事態が発生。 出陣しっぱなしで仕方ないとはいえ、閻行も指名手配となる。 257年1月 安定城には昨年秋から人を集めて、長安奪取に向けた軍備を急がせていた。 ちなみに我が軍には未だに兵器が衝車と井闌1つずつしかない。相変わらずの騎馬一徹である。 軍備の途中で捕虜の3将(張繍、賈詡、鄒氏)と在野にいた張済も登用できた。何晏は司馬懿に登用された模様。おのれ何晏め。 3月、宛に徐栄、上庸に李傕、郭汜、李儒らを残して、残りで大挙して長安を攻略にでる。 先鋒 董旻 井闌6000、華雄+李粛(明鏡) 8000騎、張繍+徐質(猛者) 6000騎、于禁 5000騎 本隊 董卓+張球(急襲) 12000騎、張衛(掃討) 6000騎、胡遵+邵悌 6000騎、李通 5000騎 後隊 成公英 6000騎、胡車児+鄒氏 5000騎、張済+陸凱 6000騎、賈詡 5000騎、牛輔+楼玄7000騎 という大軍で4月に渭水を押し渡る。今回ばかりは初期メンバー以外を大々的に主将に用いた。 長安城は太守司馬昭が35000で守っており、6~7000の迎撃軍4隊を繰り出してきた。 董卓「おう、貴様よくものうのうとわしの前に現れおって」 閻行「おのれ、よくも我が舅の韓遂を殺したな。今こそ仇を討ってくれるわ」 董卓「わしに一発で登用されたくせに何を偉そうにぬかすか。やあ、誰か行ってあの首持ってまいれ」 華雄「おう、それがしが参ります」 狼腰猿臂の武人華雄と裏切り者の閻行将軍とがぶつかる。 閻行は気焔を上げてりゅうりゅうと華雄に突き掛かるもやはり華雄の方が上である。 徐々に押したてられた閻行は必殺技2連撃を繰り出すも華雄は余裕で受け止める。逆に華雄の必殺技で閻行は馬から叩き落とされ、捕獲されてしまう。主将の閻行が討ち死んだ部隊を副将の孔伷が受け継ぐも、董卓隊により即壊滅。 また、司馬伷隊は「騎将」張繍の突撃と徐質の「猛者」をうけて負傷、楊肇隊は賈詡に翻弄され、やがて両隊とも壊滅し、それぞれ副将の桓範と蘇飛を捕虜に。 無残を極めたのは最後に残された馮習隊であった。馮習隊は各隊に囲まれ、一斉であっという間に全滅した。 一斉って部隊数いるとほんと強い。 主将の馮習は副将の烈女李氏と共に捕らえられ、処断された。ああ、無残なり李氏ちゃん。 だが董卓軍は女こどもはもちろん、いけめん武将にも容赦はないのだ。 7月。こうして裸にされた長安は董旻隊の井闌により2度目の陥落をした。ここで太守の司馬昭以下、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇を捕らえ、全員を斬った。 董卓軍本隊が長安を攻めていた頃、宛には10000、上庸には18000の兵しかおらず、それぞれ司馬懿軍と劉備軍から攻められていた。 それでも上庸では新たに研究開発された木獣が火を噴き、房陵港を取ったり取り返したりしていた。 ここでは郭汜の兵器隊が活躍し、劉備軍の馬謖を討ち取った。 しかし、宛では司馬師、太史慈などの率いる攻撃隊に対応できなくなり、陸凱を輸送隊で先に逃がし、徐栄+費耀8000騎も撤退を開始していた。 やがて宛は陥落し、内政中だった王韜が捕らえられ、司馬懿軍に登用されてしまっていた。さらに余勢を駆って、司馬師隊戟兵7000が追撃にくる。 徐栄隊は仕方なく反転し、司馬師隊に突撃をかける。すると戦いの中で司馬師が戦死する。 これぞ好機と、徐栄隊が反撃する。司馬師隊は副将の申儀が引き継ぐも、あっという間に蹴散らされ壊滅。捕獲した申儀を処断する。 徐栄は無事上庸に帰還した。 こうして董卓軍は長安を取戻し、羽林中郎将の実力を備え、上庸と長安で防衛ラインを築いて257年も暮れていった。 今回の犠牲者 29人 合計60人 陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀 指名手配 2人 何晏、王韜 第4回へつづく プレイ日記/英雄集結/董卓/上級/魔王董卓の殺伐たる天下取り 第2部 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2411.html さあて何人殺せるのやら・・・ -- 名無しさん (2011-07-12 16 04 06) 普段俺は処断しないから斬新だなぁ。 -- 名無しさん (2011-07-12 18 19 40) 騎馬縛りのプレイ日記も初めてじゃない?兵器は使うか分からんが -- 名無しさん (2011-07-12 20 20 26) コメントありがとうございます。こういう文章を書くのは初めてなので見苦しいかもしれませんが、董卓様の愛臣たちでがんばりますのでよろしくお願いします。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-12 23 27 48) 最初に市場5つ建てるより市場4つと造幣にしたほうがよかったかと -- 名無しさん (2011-07-15 14 06 15) なるほど。ですが初期メンバーでは造幣作るのに90日とかかかってしまい、効果が出るのが遅いかなと思ったので市場にしました。ですが次からは造幣にしてみようと思います。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-16 21 56 57) 名前 コメント
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プレイ日記 英雄集結 上級 董卓 「魔王董卓の殺伐たる天下取り」 ふと、1プレイで何人を殺せるのか挑戦しようと思い、殺した武将の記録としてプレイ日記をつけてみました。 環境はPSPK、上級で英雄終結の董卓でプレイ。サクサク進めたいので上級にしました。 戦死は「多い」、在野配置を「仮想」しています。 追加武将は有りで、我が勢力には董白ちゃんがいます。 さて、縛りやら条件についてですが、 1、捕まえた武将は一発登用に応じない限り基本的には処断する 2、だが相性が125~25の武将は3人まで捕虜にでき、一人につき3度まで登用を実行可 3、主将はできる限り李儒、華雄、徐栄、李傕、郭汜、樊稠、胡軫らの初期メンバーを使う 4、鍛冶はたてない の以上4つです。正直4つめがきついかも。またプレイしながら追加や削除するかも。 董卓「さて、では我が軍も天下統一を目指すとする。状況はどうなっておるのだ」 李儒「は。武威に馬騰、天水に韓遂、長安に何進がおります」 郭汜「厄介なことに3勢力ともに我が方を狙っております」 樊稠「さらに敵方には名の知れた将が幾人もおり、状況は幾分不利と申せましょう」 董卓「ふむむ、おのれ、我らが騎馬隊で蹴散らしてくれようぞ」 徐栄「お任せください、我らが必ず董卓様を勝たせてご覧にいれます」 董卓「よし、必ずや天下を取ってみせよう。だが、天下を取る際に反乱を起こされてはたまらぬ」 李傕「反乱ですか」 董卓「左様。なので信頼のおけん奴は皆殺しにする」 李粛「な、なんと…」 董卓「信頼のおけるのはお主たちだけじゃ、励めよ、者ども」 李郭樊華徐「ああっ、とうたくさまっ」 李儒「では参りましょうか。おや、どうなされた胡軫殿」 胡軫「いえ、別に……(言えない、張済殿が既に裏切って張繍の宛にいるなんて言えない)」 というやり取りがあったと思うので、勝手ですが李傕、郭汜、樊稠、華雄、徐栄の5人は董卓に親愛をつけました。 また李傕と郭汜も互いに親愛をつけました。 第1回 このゲームは序盤が楽しいので、最初は詳しく書こうと思います。 251年1月 プレイ開始と同時に市場を建てる。しかし、ここで愕然とする。 期待の李儒を使っても30日かかり、その他ではもう論外なのだ。これでは半年後の敵襲に間に合うか微妙。 それでも董卓、李儒、董白の特技により思った以上にお金と兵糧が入る。 6月。市場5つと農場3つ、兵舎と厩舎1つずつを建てたところでついに韓遂の天水から兵が向けられる。 と、思ったら武威からも。そしてなんと長安からも兵が来るという知らせが。 施設を建てたばかりで徴兵してる暇もない。困っていたら、幸いなことに安定の東の荒れ地で馬騰軍と韓遂軍がつぶし合いを始めたのだ。 というわけでまずは長安からの何進軍のみを迎撃することになった。 軍立ては何進の衝車10000、朱儁の戟兵5000、皇甫嵩の弩兵6000、そして廬植の弩兵6000という精鋭だ。 一列になって城に近づいてきたところにまずは火球を1発あてる。慌てて散開した敵を騎兵で突撃をかける。 こちらは華雄、徐栄と胡軫、董卓と樊稠、李傕と李儒、郭汜と牛輔が全て騎馬で5000ずつ。 華雄「敵将、見つけたぞ。勝負勝負」 廬植「匹夫め、うけてやろう……ってぐわぁぁ」 と、最初の華雄の突撃で発生した一騎打ちで軽傷の廬植を一撃。プレイ最初の処断者は廬植先生であった。 廬植の部隊が消滅したので後は楽だったが、途中で長安から王匡が5000の弩兵で援軍に来る。 これを攪乱と親愛によるタコ殴りで撃破し、王匡を捕獲。そして処断。他には逃げられる。 このころ、西はというと、馬と韓がつぶし合い、そこを抜けてたどり着いたのを各個撃破。ここで馬休を処断。 戦争の合間には「お楽しみ」の在野探索をする。毎回毎回、最初の都市で誰に会うかワクワクするのが楽しいので在野は仮想配置にしているのだ。 さてさっそく探索してみる。見つけたのは以下の通り。まず陸凱。風水もちの政治77である、欲しいが登用できず。 そして次に出てきたのは楊修。これも登用できず。うーん、まあ仕方ないのでもう一度探索し、郭攸之と李豊(蜀)を見つける。もちろん登用できず。今回ははずれのようだった。 252年1月 気を取り直して、内政と徴兵など軍備を整える。ここで天水の韓遂が張魯に攻められていることに気付く。 3月。35000の兵と30000馬を用意できたので、5部隊25000で武威を攻めて後顧の憂いを絶つことに。 武威の馬騰軍は我が軍と韓遂軍にフルボッコだったので兵力は12000となっている。 それでも城は耐久が3600と高いので火球を用いることにする。こちらの組み合わせは董卓と牛輔、華雄と胡軫、李傕と李儒、徐栄、郭汜が各5000ずつ。 武威に侵入したところで、馬雲緑と馬岱の騎馬4000が突っ込んでくる。親愛のフルボッコをして撃破。ここで馬岱を捕獲。好きな武将だが今回は処断。 さらに馬騰が自ら騎馬2000で突っ込んでくるがこれも撃破。 そしていよいよ城にとりつき、火球と火計で攻撃。6月、武威陥落。 ここで捕らえた武将は以下の通り。馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横、王韜、閻行、成公英。 登用に応じたのは王韜、閻行、成公英。あとは残念ながら処断。 2都市を有したので官職が進む董卓であった。 今回の犠牲者 14人 廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横。
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ここはG zOne IS11CA by CASIOのまとめサイトです Android2.3搭載カシオ製スマートフォン「G zOne IS11CA by CASIO」のまとめサイトです。 ほぼ全てのページは自由に編集することができます。 アンケート実施中! 8/2よりケータイアップデートの提供が開始されました。詳しくは こちら 特徴 耐衝撃・防塵・防水のタフネススマートフォン グローバルパスポート(GSM/CDMA) 対応 地球を感じるセンサーアプリ「G zGEAR」搭載 2011年7月14日発売 関連サイト ■au製品ページ http //www.au.kddi.com/seihin/ichiran/smartphone/is11ca/index.html ■CASIO製品ページ http //k-tai.casio.jp/products/is11ca/top.html ■G zOne スペシャルサイト http //gzone.jp/ ■アップローダー http //loda.jp/is11ca/ ■現行スレ:au G zOne IS11CA by CASIO 19 Shocks http //hibari.2ch.net/test/read.cgi/smartphone/1311435737 ピックアップ ■auケータイ探検隊 G zOne IS11CA 開発者の声 - au one ケータイ情報 new! http //k-tai.auone.jp/k-tai_pc/model/is11ca/voice.html ■「G zOne IS11CA」開発者インタビュー - ケータイ Watch new! http //k-tai.impress.co.jp/docs/interview/20110705_458275.html ■遊び心も十分! タフなAndroidスマホ「G zOne IS11CA」はどこまで実用的か? - 日経トレンディネット new! http //trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20110615/1036305/ ■遂にスマートフォンに! 「G zOne IS11CA」を写真でしっかりチェック!【フォトレポート】 - S-MAX new! http //s-max.jp/archives/1338831.html 最新ニュース 令和に帰ってきたG zOneケータイをレビュー 実機に触れたらスマホ版が欲しくなった - Engadget日本版 コメントボックス 名前 コメント すべてのコメントを見る
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<ここまでのまとめ> 梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。 縛りは以下の通りです。 1、捕まえた武将は一発登用に応じない限り基本的には処断する 2、しかし相性が125~25の武将は3人まで捕虜にでき、1度だけ登用を実行可 3、相性が125~25の武将で登用に失敗した場合は即解放し、再び捕らえた場合は即処断 4、褒賞は半年に1度で、裏切った武将は優先的に捕獲を狙い、捕らえたら即処断 5、主将にはできる限り李儒、華雄、徐栄、李傕、郭汜、樊稠、胡軫、李粛らの初期メンバーを使う 6、鍛冶はたてない(兵器は木獣と井闌1台ずつ使用中、増やす予定はなし) 251年からここまで12年の間に殺した武将は150人で、以下の人たちが封神台ならぬ封将台に入っています。 (犠牲者リスト、すべて処断or戦死した順) 廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横/朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿/陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀/王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀/関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃 (指名手配)なし 全武将の4分の1を殺したことになります。おそらくみなさんのお好きな武将、お気に入りの武将が入っているかもしれません。ごめんなさい。これからより増えていくと思いますが、ご了承くださって、お付き合い頂ければうれしいです。 (董卓軍武将名簿) 董卓、李儒、李傕、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫、董旻、牛輔、李粛(明鏡)、董白、成公英、陸凱、楼玄、張球、張承/胡遵、閻圃、張衛、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡、鄒氏、張済/桓範、蘇飛、国淵、韓忠、歩隲、諸葛誕、蔡琰、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、賈充、太史慈、太史享、温恢 /張梁、杜預、楊阜、孫仲、鄧茂、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、毌丘秀、鍾毓、張緝、張悌、王異、凌統、劉度、賈華、吾彦、楊奉、公孫康、陳矯、楊祚 董卓軍忠臣メンバー能力表(緑字は育成による上昇を含んで成長した数値、赤字は純粋に成長した数値です) 名前 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 騎馬 コメント 董卓 81(7) 95(8) 69 20(1) 57(20) 徴税 A 悪路王と勝手に綽名する。魅力が低いせいか忠臣以外の武将の忠誠が下がりやすい気がする 李儒 71(10) 26 95(2) 82(7) 38 徴収 A 董卓様の懐刀。統率を上げて戦う軍師に変身。前半の内政が彼頼みだったので政治が伸びすぎ 李傕 76(8) 80(8) 24 1 17 S 舞頸の李傕と綽名する。統率の高い敵将にも突撃しまくって戦死を狙い、敵味方構わず兵を減らすため 郭汜 76(12) 79(3) 14(1) 14 13 A 騎馬だけでなく木獣隊も率いる。彼を使っていると能力値70のありがたみに気付かされる 華雄 83(2) 95(2) 67(11) 41(1) 57 猛者 S 我が軍の急先鋒、天空星華雄。彼が一番武将をひき殺し、捕獲し、処断しており、冥府への送り手 徐栄 83(3) 79(3) 67(11) 44(1) 42 長躯 S 華雄と並んで頼りになる将。第2師団を率いて南方で戦う。今後、彼を用いた別の作戦を考案中 胡軫 78(13) 82(8) 12 15 21 疾走 S 前半は留守番が多かったが、最近成長著しい。俺の騎馬戦法は一味違うぞと言いながら突撃する男 樊稠 78(12) 75(2) 31 25(1) 39 A ここまで目ぼしい活躍はないが、彼だけ水軍をAに育成したので南部制圧で出番が来るだろう 李粛 47(1) 71(2) 60(1) 19(4) 36 明鏡 A 「明鏡」をつけて華雄の副将をつとめる。おかげで結構能力値が上がっている 董旻 50(1) 77(17) 26(1) 16(4) 23 A 兵器をAにして井闌隊を率いている。兵器は武力があればいいので統率はいらないことに気付いた 牛輔 39(1) 78(18) 21 27(1) 37 A 武力を育成して一騎打ちの後詰要員だったが、諸葛誕と義兄弟になったので今後の活躍に期待 張済 71(1) 76(10) 52 53 55 連戦 A 能力に穴がなく使いやすい。張繍軍時代に武力と特技を育成されていた模様。イケメン 第3部 「南船北馬、いや南騎北馬」 第6回 ようやく半分近い城を攻略することができました。 私はダラダラと長い文章を書いてしまうので、読みにくく分かりにくいプレイ日記になってしまっておりますが、ここまでお読みいただいた皆様に感謝したいと思います。 出来るだけ戦死を発生させようと日々突撃を繰り返しておりますが、なかなか発生せず、プレイ日記も盛り上がりに欠けているように思います。 何卒ご容赦ください。 ここからは出来るだけ分かりやすく、面白く書けるように努力いたしますので、先が気になるという方がいましたらどうぞお付き合いください。 それでは董卓軍のプレイ日記を書いていきたいと思います。 264年1月 鄴にて・・・ 董卓「ううむ、爽快であった。いくつもの戦に勝った、そしてたくさんの敵将も斬った」 張済「はい、おめでとうございます。たったの1戦で敵軍を滅ぼしましたからな」 董卓「しかし、乱世とは何があるかわからんもんじゃな。あの袁紹がこうも簡単に滅ぶとはの」 賈詡「さようでございますな。しかし、それほど公孫瓚は手強いということでしょう」 董卓「公孫瓚も騎兵で有名じゃな。我らは勝てようか」 賈詡「公孫瓚軍は南皮、晋陽に兵を集めており、今は平原城で呂布軍と争っているようです」 張繍「さらに公孫軍の騎兵は白馬ばかりで、その白馬を活かした騎射が強力であると聞きます」 董卓「ふむ、だがそれは逆に肉薄すれば対抗できるということじゃな」 華雄「左様でござります。白兵によるぶつかり合いでは我が軍の方が上かと」 賈詡「しかし我が軍は遠征の途上で、兵の補充ができません。向こうは大軍を擁しています」 董卓「そうは言っても我らではとても内政などやってられんぞ」 華張太「・・・(こくこく)」 賈詡「わかっております。ですから敵の意表を突き、このまま進軍しましょう」 太史慈「おお・・・」 賈詡「まずは晋陽です。あの辺りの地勢に詳しい張燕殿と私で鄴の北から常山周りで攻め入ります」 張燕「おう、お任せを」 董卓「なるほどのう、お主らが城から敵を誘き出している間に我ら本隊が南から攻める、と」 賈詡「左様でございます。鄴の守りには張済殿の部隊を残し、全力で敵を討ちましょう」 董卓「よし、参るぞ皆の者、敵の騎兵を殺しつくしてやれ」 華張太「おおー」 賈詡「・・・(さて、南はどうなることかな・・・)」 そのころ新野では・・・ 胡軫「むむむ・・・」 樊稠「ん・・・、おや、どうなされた胡軫殿」 胡軫「おう、樊稠殿か。貴殿は歯がゆくないのか、我らはこの城に取り残されてしまったのですぞ」 樊稠「・・・(何やら前にもこんなことがあったような)、えーと、それはどういうことでござる」 胡軫「よいか、今や我ら南方軍の前線は襄陽と江陵で、この新野は補給中継都市に過ぎないのだ」 樊稠「ふむふむ・・・(・・・あ、長安の時と同じだ)」 胡軫「その我らができることは江夏城を攻めることしかないのだ」 樊稠「なるほど、江夏の城は河から攻めることができますな。しかし肝心の船がないでござる」 胡軫「ふふふ、安心めされよ、既に造船が得意だという許攸という者に命じて船を用意させているのだ」 樊稠「おお、となると出撃できますな。それがしはこう見えても水軍には自信があってござる」 胡軫「では早速、徐栄殿も呼んでくるとしよう。参りますぞ樊稠殿」 樊稠「応っ」 さらに同じころ、江陵城では・・・ 李儒「ふふふ、これからだ、これからなのだ・・・(ブツブツ)」 李傕「おう、軍師殿。どうなされたのだ」 郭汜「何やら考えごとをなされていたのか軍師殿」 李儒「おや、李将軍に郭将軍か。私はもう軍師ではないのだよ。それでも、これからの戦略を考えておったのだ」 李傕「ほう、それはどのようなものなんだ軍師殿」 李儒「もう軍師ではないのだがな、私が思うに劉備軍はこの江陵城に遠からず押し寄せてくるであろうと思ってな」 郭汜「そ、それは困るではないか軍師殿」 李儒「まぁ私は別に軍師ではないのだがな、我らはこの城をあけわたして、劉備軍が入城したところを襲おうと思うのだ」 郭汜「なるほどなぁ軍師殿。って・・・え、一度城をとらせるのか軍師殿」 李儒「・・・(人の話を聞いておるのかタコ助どもめ)」 李傕「城を取らせてすぐに取り返せるのか軍師殿」 李儒「大丈夫じゃ。李傕殿が江陵の主将でいると城の耐久は回復しないから楽に攻められるのだ」 郭汜「そ、そうなのか。それは名案だな軍師殿」 李儒「その後は兵力の減った劉備軍の都市を襲えばよい。董卓様は内政より城の数をお求めだからな」 郭汜「それなら俺らの出番は多そうだな軍師殿」 李儒「左様。期待しておりますぞ、董卓軍の双璧と言われるお二人に」 李郭「おおうっ」 李儒「ふふふ・・・(そして私も軍師の座に返り咲くのだ・・・)」 というやり取りが各地であったと思われるので、今回は 「董卓千里行」、「胡軫船下江」、「李儒荊南攻」 の3本をお送りしたいと思います。ちなみに能力研究ですが「水神」、「洞察」、「指導」が出ており、「指導」を研究しました。 264年1月 この頃、紙芝居でもお分かりかと思うが我が軍は大きく3つに分かれていた。 鄴の董卓軍本隊、新野にいる徐栄の第2師団、襄陽と江陵の李儒、李傕、郭汜らの第3師団である。 襄陽は南へ攻める拠点なので少しずつ内政を行っており、鄴では兵舎だけ立てて城兵の確保をして、馬は洛陽からの補充を待っていた。 新野では新たに蒋欽と厳畯、さらに「造船」もちの許攸が加わり、前回に捕らえた呉将たちと合わせて水軍の準備をしていた。 順番に詳しく見ていきたい。 鄴の董卓本隊は張済隊を城の守りにおいて、休む間もなく晋陽を攻めることにした。 晋陽には60000の兵がいるので、「釣り」を使うことにした。 先鋒 張繍+徐質+鄒氏7000騎、華雄+李粛+州泰(騎神)8000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)10000騎、董旻+歩隲 井闌8000 別働隊 賈詡+張闓6000騎、張燕+楊阜+楊祚(築城)7000騎 王異は特技を書き換え、楊祚には「築城」をつけ、州泰は劉備軍から新たに引き抜いた武将だ。 先鋒と本隊は壺関から晋陽をつき、別働隊は晋陽の東から攻めて敵をおびき寄せる。 壺関は賀斉将軍が6000で守っていた。 しかし井闌隊があっという間に関を落とす。ここでは誰も捕まえられず。 関を抜け、上党のあたりを北上すると晋陽の難所の一つである陽曲の一本道にさしかかる。 ここには公孫瓚軍による董卓軍歓迎委員会が熱烈な歓待をしてきた。 それは先の賀斉、そして公孫続、龔都、傅彤といった猛将たちであった。 一方の別働隊の方にも敵部隊が迎撃に出てきていた。こちらは公孫範、朱霊、孟宗、文虎らである。 それぞれ4000~5000ほどである。とにかく賈詡と楊阜で攪乱を行って足止めをする。 その間、本隊は一本道の敵と一進一退を繰り返していた。が、我が軍はここで新兵器を投入したのだ。 そう、技巧研究によって開発された豪火球である。これを一本道に向けて発射する。 これで敵軍は大きな被害を受け、敵将龔都は一発目の火球で戦死。 火勢が衰えたところへ張繍が突撃して傅彤隊を撃破、主将傅彤を捕らえて処断。 次いで公孫続隊も張繍隊が撃破して、副将の韓莒子を斬った。 賀斉隊も倒すといよいよ城に取りつき、ひと月で陥落させた。 ここでまたも賀斉と公孫続を逃したが、荀諶と魏攸の2人を処断して、賈範を捕虜にした。 別働隊では張燕が混乱した朱霊を一騎打ちで倒して処断し、賈詡が孟宗と文虎を捕虜にしていた。 挟み撃ちに行った華雄隊が公孫範隊を撃破し、晋陽は董卓軍のものとなった。 新野では造船が行われていて、3隻完成したところで江夏を攻めることにした。 胡軫+費耀(猛者)+朱異9000騎、樊稠+左奕(連戦)+張悌9000騎、徐栄+楊昂(猛者)+留賛10000騎 で湖陽港を出て河から江夏の内政施設と城を攻める。 江夏城は「火神」の名将周瑜が20000で守っているが、配下で目ぼしい将は周泰くらいしかいない。 夏口の側の町を壊すと、あわてたように周瑜隊と周泰隊、留平隊が出てくる。 周泰が夏口港に入ったので出口を塞ぎつつ港を落とす。周瑜隊があたふたしている間に江夏城を攻撃。 樊稠と徐栄が周瑜隊の相手をして、胡軫は江夏城を攻撃する。 こちらの2隊はかなりの被害受けたが、その間に胡軫が江夏を落とす。 その後に3隊がかりで周瑜隊と戦うも周瑜は途中で逃走し、留平隊が夏口から出てくる。 これも粉砕して夏口を抜き、とりあえず胡軫ら3隊は江夏城に駐屯することにした。 264年3月 江陵に向けて劉備軍が出撃したとの報が入る。 永安と長沙から来るようなので李儒をはじめ、以下の軍容で敵をギリギリまで待つことにした。 主力 張梁+賈充8000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)10000騎、牛輔+諸葛誕8000騎、李儒+胡車児8000騎 後詰 郭汜+陸凱(指導)木獣9000、李通+蘇飛6000騎、凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊20000 といった面々である。 やってきたのは趙雲、関羽、張飛などの虎将たちの30000で、我が軍は江陵城を出て長坂の渡で待機。 彼らが無人の江陵城を取って内政を始めたのを確認して襲撃した。 趙雲と関羽は内政をしていたので張飛のみが迎撃にきた。もちろん李儒が攪乱して放置。 2、3ターン経ったところで関羽隊と趙雲隊も出てくる。火球に巻き込みつつ城を攻撃する。 関羽の戟兵、趙雲の槍兵の一撃ですごい被害を受けるも、江夏から徐栄隊、胡軫隊6000が駆けつける。 胡軫の「疾走」が趙雲に決まり、李儒も関羽隊を攪乱させ、殴って火をつける。 その間に郭汜の木獣が火を噴いて江陵城を再び落とす。 捕らえたのは太守の諸葛瞻以下、 董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤 といった面々で捕虜枠が埋まっているので全員を処断した。 最後に趙、関、張の3部隊をそれぞれ撃破した。 264年5月 陳留の城は于禁と成公英が留守を預かっていた。 成公英「うーむ、少しまずいな・・・」 于禁「それはどういうわけだ、成公英殿」 成公英「各地から軍を率いている将たちの戦果が聞こえてきます。この陳留にも25000がいますが・・・」 于禁「たしかに我らは戦果がないな。今回まだ戦っていないのはこの陳留以外では許昌の15000だけだが」 成公英「そうです、そして許昌の杜預殿は新参ですが、古参の私としては忠誠を見せないといけません」 于禁「そうか・・・、では良い案がある。今、曹操軍が呂布軍の小沛を攻めているのだ」 成公英「というと、寿春の北の泗水のあたりでぶつかっているのでしょうか。それが何か」 于禁「うむ、実はな、両軍はなぜか譙や梁といった小沛の西側で戦っている。そこに参戦するのだ」 成公英「なんと、それは好機ですね。すぐに参りましょう于禁殿」 ということで何故か兗州付近でぶつかっている曹操軍と呂布軍の戦いに成公英隊8000騎と于禁隊8000騎を参戦させる。 火球で両軍に被害を与える目論見である。 呂布軍は張遼将軍、張角導師、呂岱提督といった面々。曹操軍の方は徐晃、郭淮、楽進などで、両軍共に精鋭である。 そこへ呂布の同盟軍である我が軍が勝手に参戦し、火球を放った後に突撃するという戦法で曹操軍に襲い掛かった。 曹操軍の部隊は火のついたマスに押し込まれ、火のダメージでかなり兵を損じた。 そうして呂布軍の戟兵部隊と協力し、敵の殲滅に成功。 この戦いで曹操軍の勇将徐晃、郭淮の副将曹髦と曹訓を捕獲して処断した(徐晃は必ず戟兵で出てきて撹乱もきかないので毎プレイてこずる武将)。 また呉の馬忠を登用した。 成公英と于禁は手柄を上げて無事陳留に帰還できた。 話は戻って、同じころの晋陽の本隊。 晋陽城を攻略した本隊は晋陽に駐屯せず、鄴にも戻らず、そのまま南皮へ行くことにした。 なぜなら平原城での戦いで公孫瓚軍は呂布軍に負けて城を取られただけでなく、南皮からの平原奪回軍も退けられたため、南皮城の兵力が手薄になっているためである。こちらは以下の兵力である。 先鋒 張繍+徐質+鄒氏6000騎、華雄+李粛7000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)8000騎、董旻+歩隲 井闌8000 南皮城には君主の公孫瓚自らが20000で守っている。 我が軍は張燕隊と賈詡隊を鄴の守りに回して、井闌を含めた5隊で攻略に向かった。 迎撃にきたのは張郃、賀斉、傅僉、孟宗らの部隊であった。なかなか手強い相手である。 孟宗は一度捕虜にしたが登用を拒否されたので解放して、再び戦場で見えることとなった。 7月。両軍は南皮の南西でぶつかった。 まず張郃隊は王異の攪乱で放置。傅僉隊も攪乱し、楊奉の連戦で削る。賀斉隊には張繍隊がぶつかる。 最後に華雄隊が孟宗隊に突撃して、迎撃隊を沈黙させた。 この戦いで傅僉と賀斉隊副将の関靖を斬り、賀斉と牛金を捕虜にした。 この後2ターンで公孫瓚の守る南皮を落として、以下の武将を捕らえた。 公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、そして公孫瓚 君主公孫瓚を含む全員を処断した。 これにより公孫瓚軍は公孫越が継ぐことになり、数人の武将が下野したようだ。 結局、公孫瓚自身とは戦場で戦わないまま斬ったので敵の騎馬隊とはぶつからなかった。 最後に張郃隊を全部隊で叩いて壊滅させ、張郃は北平に退いた。 さすがに兵も減ってきたので、このあたりで鄴から輸送隊を出して補給させることにした。 渤海の北、天津近くの渡のあたりで董卓軍本隊は陣と軍楽台を作って駐屯させた。 264年7月 江陵の第3師団は公安港から兵力25000の武陵を攻めていた。 先発 張梁+賈充9000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)12000騎、牛輔+諸葛誕9000騎 本隊 郭汜+陸凱(指導) 木獣10000、李儒+胡車児9000騎、李通+蘇飛6000騎 後詰 凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊10000 武陵からは王平と張翼、周泰が迎撃に出てくる。 武陵近辺は平地が狭くて森が多いため、騎兵の力をうまく発揮できなかった。それでも張梁隊の「妖術」で混乱させて敵部隊を撃破できた。 良将王平を斬った後、郭汜隊が武陵城を落とした。 張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、孫魯班、周泰 といった武将たちを捕らえ、孫魯班と周泰を捕虜にして残りは斬った。 264年10月 この頃の我が軍の人事では既に牛金、周泰と孫魯班は登用できていた。また賀斉は脱獄していた。 さらに鄴では在野の黄巾将たちを盛んに登用して、何儀、程遠志、高昇、張曼成の4人を得ていた。 さて、その鄴は賈詡が新加入の将たちを使って徴兵し、洛陽から補給も受け、平和であった。 がしかし、ここに急を告げる斥候からの伝令が鄴の城門に駆け込んでいた。 賈詡「まずいな・・・、張燕将軍、飛燕の張将軍はおられるか、それから張済将軍も」 張燕「・・・おう、何事かあったか軍師殿」 賈詡「今、見張りから連絡があってな、薊の60000のうち40000が晋陽へ出撃したそうだ」 張済「ほう、それは大軍だな。だが董卓様には支障はないな。晋陽の兵力はどれくらいなのだ」 賈詡「0だ、一兵もおらん。晋陽は放棄してきたのだ張済殿」 張済「なんと。ではどうするのだ、その大軍と晋陽は捨て置くのか」 張燕「いや、今ならまだ討つ機会があるぞ。あの中山のあたりは道が狭く1部隊しか通れんのだ」 賈詡「よし、ならば討てる。すぐに出撃だ、お二人とも用意を」 張済「だが南皮へ兵を輸送に出したばかりで、この鄴には兵が18000騎しかおらんのだぞ」 賈詡「大丈夫だ張済殿、兵が足りない分は金と手間で補うのだ・・・(ニヤリ)」 ということで、賈詡、張燕、張済の3隊はすぐさま鄴から北へ向かい、薊の部隊を襲うことになった。 作戦は一本道の出口にひたすら豪火球を作り、敵部隊にまとめて被害を与えるというもの。 これによって敵軍は莫大な被害を受け、特に先頭を進んでいた敵将丁原は焼死してしまった。 恐るべし、豪火球。早くも2人目の犠牲者である。 それでも8部隊兵力40000を我が軍は5000ずつの3隊で迎え撃つため、どうしても突破されてしまう。 だがそこを張燕が突進で押し返すという二段の構えであった。 さらには最後尾を進む敵将公孫恭の忠誠が下がっていたので、これを寝返らせることに成功した。 しかし戦場の周囲には森が多く、騎兵戦法が使えないことも多く、最後は凄惨な叩き合いになった。 張燕が敵の宿将厳綱を討ち取り、張済も劉和を斬った。賈詡は孫観を捕虜にした。 こうして薊の敵部隊を全滅させたが、我が軍も最後は3隊あわせて7000ほどであった。 同刻、本隊も南皮で補給が終わり薊と北平に向けて進撃を開始していた。 薊からは最後のあがきとして王門と鄒丹が、北平からは田予が先鋒で張郃、李厳、賀斉、田楷などが出てくる。 華雄隊と張繍隊が薊の2将を撃破して斬り、董旻隊がほとんど空の薊を攻撃して落とす。 薊の城では張南、田疇、単経を斬った。 一方で北平へ向かう易京の隘路では押し合いの混戦になっていた。 ここで鄴からそのまま援軍に駆け付けた張燕隊の突破により、田予隊の副将張華が戦死する。 さらに太史慈隊が田予を討ち取り、董卓軍は北平の西の平野を目指した。 敵軍にはなかなかの将が揃っており、これが公孫軍との最後の激しいぶつかり合いとなるだろう。 265年1月 両軍の戦闘が始まった。 董卓軍6隊50000と公孫越軍5隊40000が正面からぶつかる。 井闌の董旻隊は待機しているので実質同数での戦いである。 まず張燕隊がいく。次いで太史慈隊。そして董卓隊。一気に押し込んでいけるのは騎馬突撃の醍醐味である。 敵の先陣の張郃隊と李厳隊を突き抜け、挟み撃ちの格好を取る。騎兵はこの戦術が強い。 張郃は再び攪乱させ放置、李厳隊の兵を削る。この間、賀斉隊の火矢が痛い。 張繍が李厳隊を倒して李厳を斬り、華雄隊も田楷隊を撃破して田楷を処断。賀斉を囲んで倒し、捕獲。 後から出てきた公孫越隊を撃破し、最後に張郃隊を倒して張郃を捕虜に。 この戦いの間に楊奉と州泰が寝返ってしまう。「騎神」もちの州泰の離反は痛い。 この後、北平の城を落とし、公孫越、蒋義渠、州泰、陳蹇、公孫度、孫礼、顧雍を捕らえた。 陳蹇と孫礼、公孫度は登用に応じ、顧雍を捕虜にして、残りは処断。 公孫越が死んだので君主にはなんと楊奉がなった。これによりまた数人が下野した。 265年4月 まさに騎虎の勢いで我が軍は襄平の城に迫った。 軍勢を2つに分けて張燕、華雄を先行させ、残りは大遼水の渡を越える。 張燕らは襄平の北、玄莵のあたりで智将田豊率いる5000とぶつかる。 「猛者」で負傷させて、あっという間に撃破。あわれ忠臣田豊は主君の仇も取れず、遼東に散った。 本隊がわずか4000の襄平城を落とす。 田豊が死んだ襄平には楊奉と季雍という武将の2人しかいなかった。 両名を斬り、ここに旧公孫瓚軍は滅亡した。 こうして董卓軍は平原城をのぞく河北の討伐に成功し、またまた董卓様の官職があがるのであった。 今回の犠牲者 49人 龔都(戦死)、傅彤、韓莒子、荀諶、魏攸、諸葛瞻、董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤、徐晃、曹髦、曹訓、傅僉、関靖、公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、公孫瓚、王平、張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、丁原(戦死)、厳綱、劉和、王門、鄒丹、張南、田疇、単経、張華(戦死)、田予、李厳、田楷、公孫越、蒋義渠、州泰、田豊、季雍、楊奉 新加入 17人 厳畯、蒋欽、許攸、文虎、賈範、牛金、孫魯班、周泰、何儀、程遠志、高昇、張曼成、公孫恭、孫観、陳蹇、孫礼、公孫度 第7回 前回は河北制覇を全部書いたので、とても長くなってしまい大変申し訳ありませんでした。 今回も前回の続きで南征が中心ですが、いよいよタイトル通りいろいろ殺伐としてきました。 これからもお付き合いくだれば幸いでございます。 鄴にて・・・ 牛輔「公就任、まことにおめでとうございます、董卓様!」 董卓「おお、おうおう、感謝するぞ皆の者、まことにめでたい、めでたいことじゃ」 賈詡「皆の者、これからはもう董卓様とではなく、董太師とお呼びするのだ」 華李郭徐「おおー、董太師、董太師!」 董卓「くるしゅうない、くるしゅうないぞぉ皆の者」 李儒「(ぐぬぬ、賈詡め、わしも今言おうと思ったのに・・・)」 張済「董卓様…いや董太師、いま鄴の農民が銅雀を見つけたとの報告がっ」 賈詡「銅雀ですか。むむ、これは吉祥瑞祥でございますな」 胡軫「公就任のこの時にかような瑞祥が見つかるとは、太師のご懿徳によるものかと」 董卓「うむうむ、すぐに銅雀をまつる台を築くのじゃ」 李儒「(ぐぬぬぬぬぬ、おのれ胡軫め、今わしが言おうと思ったのにー)」 董卓「よしよし皆、いまは大いに飲んで騒いでくれ。だが、また明日からはいくさじゃ、頼むぞ皆の者」 一同「おおーっ」 わいわい… というわけで北をとった我が軍は南に向かい攻め入るのでありました。 他勢力はというと、 呂布―平原、北海、下邳、小沛、濮陽。劉備―永安、零陵、桂陽、長沙、柴桑 王朗―建業、呉、会稽。鄧艾―成都、江州。孟獲―建寧、雲南。袁術が廬江、曹操が寿春、鍾会が梓潼。 我が軍は鄴、江陵、武陵に60000~70000の兵が集まっており、その他は陳留と江夏に20000ほどで、それ以外の町は5000~8000の守備兵がいるくらい。 河北は鄴以外は兵0で将も0で放棄しています。つまり内政をやっていられないので少数精鋭でいくしかないという状況です。 265年4月 南の拠点、武陵。 武陵の内政、軍事施設建設がひと段落つき、再び進撃を開始することにした。 第3師団は凌統隊と張承隊を武陵に残して、李傕、郭汜、李儒、牛輔、張梁などが40000で向かった。 零陵には3人の欲しい将がいる。魯粛、王双、そして孫策である。城は兵力が18000しかないがその3人には油断はできない。 迎撃には孫策隊と馬忠隊、魏延隊が出てきた。魏延は李儒により盆踊りをさせて撃破、次に馬忠隊を集中攻撃して撃破。 馬忠を斬って、意中の王双を捕虜にする。 だが張梁隊の副将賈充が途中で劉備軍に寝返っていたので「妖術」はほぼ封じられてしまった。それでも郭汜隊の木獣が零陵を落とした。 太守の魯粛、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、陸鬱生といった武将を捕らえたので、魯粛と陸鬱生の二人を捕虜にし、残りは斬った。 さて、問題は孫策隊である。小勢で副将はいないが戟兵なのでめちゃくちゃ強い。 なんとか李儒の攪乱がきいて全軍がかりで倒したが、被害は大きく、肝心の孫策も逃してしまった。 265年6月 寿春の曹操軍が王朗と呂布によって2方面から攻められていた。 我が軍は漁夫の利を狙って、陳留の于禁たちを寿春に向かわせることにした。 まず王朗軍が江都港方面から20000がはるばる来ている。一方で小沛からは呂布、張遼、張宝などの精鋭が25000ほど。 対する曹操軍は40000ほどだが、そのうち10000は濡須港に駐屯しているので実質30000。 曹操の主力部隊は夏候惇、夏候覇、郭淮、呂蒙、曹彰などの精鋭。 両軍は北の渡しで呂布軍とやりあっていて、早速、呂布の突撃で曹操軍の卞喜を轢殺していた。 ここに于禁隊10000、成公英隊10000、馬忠(呉)隊6000も参戦する。 必殺の火球攻撃により夏侯覇隊副将の楊修が戦死。 夏侯覇隊を壊滅させ、副将の曹宇を斬ったことで、ついに攻め手は寿春北の渡しを突破した。 すぐさま寿春城の北で乱戦となったが、なんとここで王朗軍が水門を破壊。 呂布軍は張宝隊が全滅し、我が軍も馬忠隊と成公英隊が全滅という憂き目に。 最悪なのは曹操軍で、主力部隊が全滅して城壁もボロボロ、あの曹操もここまでであった。 呂布軍の文欽隊が寿春を陥落させ、曹操軍は滅亡。多くの武将が呂布に召し抱えられることとなった。 ちなみに王朗軍は呂布隊と張遼隊にボコボコにされて全滅しました。 265年8月 襄平からの輸送部隊が到着し、ようやく鄴に本隊の軍勢が揃った。 この間に鄴城の内政と在野になった旧公孫瓚軍の武将の賀斉と張郃を登用していた。 用意が整ったところで我が軍は呂布軍との同盟を破棄。渡しで待機させていた本隊で一斉に平原城に攻めかかる。 先鋒 張繍+徐質(猛者)+鄒氏12000、華雄+李粛(明鏡)+賀斉13000、張燕+楊阜(指導)+賈範(火神)11000 本隊 董卓+張球+楊祚(築城)13000、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)11000、張郃+孫礼+牛金10000 兵器 張済+歩隲+文虎10000 輸送隊 何儀(運搬)1000、高昇(運搬)1000 平原の太守は張楊で、兵も12000ほどだったので迎撃にきた宋謙を斬って、あっという間に陥落。 張楊は逃したが、城にいた逢紀、陸績を斬った。 9月。本隊には兵糧輸送部隊をつけて、平原を取った勢いで北海城を目指す。 北海の太守はなぜか夏候尚で、配下も少なく、兵も15000ほど。 どうやら呂布軍は王朗軍と江都港のあたりの水上戦に人を割いていて、北は油断していたようだ。 さらに寿春の呂布軍本隊は大量に捕獲登用した旧曹操軍の武将たちの俸禄にも苦労しているようだった。 早速、迎撃にきた夏侯尚と卑衍の部隊を2隊を撃破して、2将を斬り、北海城を攻める。城には張楊などがいたが、やはりすぐに陥落。 またも張楊は逃すも、婁圭を斬った。 12月。いよいよ敵軍の一大拠点である下邳を目指す。 下邳には40000の兵がいて、おそらく迎撃には30000がでてくるはずなので、こちらも同数で出陣。 上記の編成の中から、張燕隊12000、太史慈隊10000、張郃隊10000を出すことにした。 しかし下邳。この城にはあの武将がいたのであった。 侵攻を知らせる伝令が走り、下邳城の廊下を駆けていく。 張楊「急報でござる、急報でござる!」ドタドタドタ 侯成「なんだなんだ、ご城主の前で騒々しいですぞ、張楊殿」 張楊「それも当然でござる。ついにこの城に董卓軍が押し寄せてきたようなのですぞ」 侯成「な、なんと、ついにか……(振り向きながら)どうなさいますか、ご城主」 ??「……フン、もちろん楽しませてもらう」 というわけで下邳城の北で戦闘開始。 張燕「やあやあ、我こそは張飛燕なり!」 太史慈「我らが騎兵の動きについてこられるか!?」 侯成「くっ、我らではかなわぬか…、ご城主、お願いいたす!」 張燕「……ぬうう、なに、まさか…」 呂玲琦「……涼州の騎兵か、できる、と聞いている。楽しませてもらうぞ」 太史慈「女…だと…」 呂玲琦「フン…、おい貴様、準備できているな?」 曹彰「応っ、当たり前よっ、いくぜっ」 張燕「し、『疾走』はまずい…。しかも2人だと…?」 りょ、りょ、呂玲琦だー。 敵軍は呂玲琦と曹彰を寿春から急遽下邳に回したらしく、2将が騎兵で出てきたのだ。彼らの『疾走』により我が軍は混乱。 部隊数は向こうの方が多いので被害も甚大。董卓騎兵軍は初の敗北を喫し、30000の兵が半分ほどに討ち減らされ、北海城に撤退した。 この敗北により本隊の侵攻は遅鈍することとなってしまった。 (ちょっと遡って)265年7月 零陵の李傕、郭汜、李儒らは桂陽を攻めていた。 上記の編成に加え、張承隊7000も補充して桂陽の19000と当たる。数はこちらの方が50000と多いのだが、敵は猛将ばかりである。 太守の孫堅をはじめ、孫策、黄蓋、韓当、呉懿、王濬、賈逵といった者たちが次々に迎撃にくる。 しかも戦場は森が多く、一本道でしか戦法と火球が使えないという地勢。 自分たちより能力が上の人たち相手に正面から殴り合いをするという最悪の展開になった。 結果、50000騎が30000ほどまで討ち減らされたが、こちらも王濬と呉懿を討った。 孫堅隊は李儒で攪乱させ壊滅させたのだが、またしても孫策+賈逵の4000と削り合いになった。 桂陽城は郭汜の木獣隊が陥落させ、孫堅は逃したものの韓当、祖茂、王粲を処断。 最後に全軍で孫策隊に突撃して壊滅させ、賈逵を捕らえて斬った。 また、残念なことに、この戦いの間に「疾走」もちの毌丘秀が劉備軍に裏切っていた。 265年10月 桂陽を落とした南征軍は気力回復してすぐに、荊南最後の都市である長沙に向かった。 長沙には20000の兵がおり、太守はあの姜維であった。その配下には孫策、程普、黄蓋という呉将と裏切り者の毌丘秀などがいる。 ここで武陵に残してきた凌統隊7000騎を羅県港から上陸させ、「釣り」をしかける。 長沙からは黄蓋隊5000が出てきた。同時に桂陽から本隊30000も侵攻する。 ぶつかり合いはまず汨羅の淵で凌統の突撃から始まった。 武力90の凌統の突撃で黄蓋隊副将の施朔が戦死し、2度目の突撃で一騎打ちが発生。凌統が勝ち、黄蓋を捕虜にした。 長沙城の南でも激戦が始まり、姜維隊、孫策隊、程普隊4000ずつとぶつかる。 特に姜維、孫策は槍兵の突きで1000は減るので脅威であった。 火球と戦法で兵を減らして敵部隊を一掃し、程普を捕らえ、姜維隊副将の裴元紹を斬る。 年が明けて1月にようやく長沙を落とす。 関寧、蒯越、麋竺、そして裏切り者の毌丘秀などの武将をきったものの、やはり姜維や孫策などは捕まえられず。 266年1月 南征の最後は柴桑である。 ここは、江夏に駐屯させていた胡軫らの30000を張悌と屯田もちの国淵らに授け、陸口港に入らせる。 陸口から繰り返し出陣して柴桑の施設を壊し、敵将の周瑜を疲弊させる作戦である。 周瑜が40000で守る柴桑城を落とすのはもう少し先になりそうだ。 ここでようやく南征にひと段落ついた。 荊南攻めで失った兵力を襄陽で張魯が補充する。それをまず武陵にまわし、長沙の兵力も合流させる。 既にもう次の作戦である。 永安には劉備軍60000と猛将たちが籠っているので正攻法はやめ、周りから取ることにした。 徐栄、胡軫らには漢中から梓潼を通って鄧艾の成都を攻めさせる。 そして李傕、郭汜らの軍団には武陵からはるばる南蛮を攻めさせるという作戦である。 4月。 南蛮へは大掛かりな遠征で、時間がかかるので、揃った部隊からどんどん出陣させる。 武陵は捕虜から登用した魯粛と黄蓋、新加入の鮑隆に任せて、主力の全軍で出陣する。 ふた月かかって建寧に入ったところで孟獲軍が迎撃に出てくる。両軍の先鋒が山深い南蛮奥地の牀柯のあたりでぶつかる。 こちらは郭汜、牛輔の20000で、敵は大王孟獲と帯来洞主の2隊18000、やや遅れて花鬘と鄂煥の2隊12000。 孟獲「おい、おまえら、この南蛮に攻めてくるとはいい度胸じゃねえか」 郭汜「おう、貴様らなんぞ我らの敵ではないわ」 孟獲「上等じゃねえか、おまえら絶対に返すわけにはいかねえな!おう、帯来、やっちまえ」 帯来洞主「おうっ!」 牛輔「なんの!このっ」 という感じで戦闘開始。 最初に突出してきた帯来隊を撹乱からの一騎打ちで牛輔が撃破して、捕獲、即処断。 孟獲隊はなかなか硬く、手こずっている間に敵軍の後続部隊とこちらの李傕、李儒などが追い付く。 花鬘と鄂煥には李儒の偽報で帰ってもらい、孟獲を攻撃。 敵は戟兵なのでこちらもまとめてダメージをもらう。が、なんとか孟獲隊を撃破し、花鬘隊と鄂煥隊においついて殲滅する。 迎撃を跳ね返した我が軍はここからふた月ほどかけて雲南に向かう。 ここで少し時間を遡って266年4月の荊北の様子を見る。 まず襄陽の張魯らが今度は成都攻め用の兵を用意している。 成都攻めには徐栄と胡軫に加え、黄巾の張曼成、北海で登用した管亥を主将に起用する。 また、徐栄の守っていた江陵城は樊稠、李通、臧覇らに50000で任せることにした。 江夏は杜預が5000で駐屯中、宛も吾彦が5000で涼州から来る兵糧の輸送を担っている。 新野でも徴兵と造船を行っており、漢中と汝南、陳留に増派する分の兵力60000をこつこつと貯めていた。 徐栄らは襄陽と新野から20000ずつ兵を受けて漢中に向かっていた。 その頃、大兵力の新野は董旻が太守として守っていた。 董旻「はぁ・・・ワシの兵器部隊が張済なんぞに回されてからというもの、どうも面白くない」 許攸「おや、董旻どの。どうかされましたかな?」 董旻「いや、新野に来て以来まったく活躍の場がなくてなぁ。兄上はどう考えているのかと」 許攸「董太師のご批判とは、な、なんと畏れ多い」 董旻「構わん、ワシは弟じゃ。ここまで来られたのもワシの兵器部隊がよく働いたからであってな」 許攸「・・・・(ほう、私もこんな田舎で働くのは真っ平なのだ)」 董旻「ワシが精魂込めて火矢を作ってだな・・・あれをああしてこうして(ブツブツくどくど)」 許攸「・・・(使わせてもらうか)、董旻どのはご存じですかな?」 董旻「ん?なんのことじゃ?」 許攸「今の太守は董旻どのですが、新参の公孫度という者がここの太守になるというのを」 董旻「なんと・・・ではワシは異動か?」 許攸「いえ、そういうわけではないようで、そのまま公孫度の下でしょう」 董旻「むむむむ、ワシを馬鹿にするのもこれ以上は許せんぞ!」 許攸「・・・実は私はその公孫度とは旧知でしてな。どうやら彼は着任して造反するようなのです」 董旻「なんだと・・・?では、裏切り?」 許攸「そうです。私もここで終わるつもりはありません。董旻どのはいかがされます?」 董旻「・・・・わかった、やる、やってやる。兄にワシの本気を見せてやる!」 デデーン どうなる?、と皆様に思っていただいたところで、容量の関係によりまた次回! 続きはもう出来ているので順次アップさせていただきます。今回も長々とおつきあい頂きありがとうございました。 今回の犠牲者 27人 馬忠、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、卞喜(戦死)、楊修(戦死)、曹宇、宋謙、逢紀、陸績、夏侯尚、卑衍、婁圭、王濬、呉懿、韓当、祖茂、王粲、賈逵、施朔(戦死)、裴元紹、関寧、蒯越、麋竺、毌丘秀、帯来洞主 指名手配 7人 賈充、毌丘秀(処断済)、公孫度、呂拠、王修、董旻、許攸、孫仲 新加入武将 7人 賀斉、張郃、王双、魯粛、黄蓋、鮑隆、管亥 董卓軍忠臣メンバー能力表の徐栄が徐英になってる -- 名無しさん (2011-07-23 16 56 32) 冥府への送り手www 好きな武将の太史慈には裏切って欲しくない -- 名無しさん (2011-07-24 11 05 15) 馬超よ~~~~ -- 名無しさん (2011-07-25 22 25 58) 名族たる私がこんなところで -- 袁紹 (2011-07-25 23 37 31) コメントありがとうございます。徐栄を修正しました。馬氏や袁氏など漢朝系の武将は董軍と相性最悪なので今回は泣く泣く斬っています…。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-26 09 52 43) 遅くなりましたが更新させていただきます。 -- 董卓の日記著者 (2011-09-27 11 21 39) 乙です -- 名無しさん (2011-09-28 12 48 20) これって味方の裏切りもあえてねらってます?それともトウタクだから? -- 名無しさん (2011-09-28 18 37 07) 不用意に忠臣の誰かが轢き殺されて、郭汜「李傕ゥーー!!」みたいな展開キボン -- 名無しさん (2011-09-28 21 35 55) コメントいただきありがとうございます。↑2の方、真の忠臣は裏切らないと信じ忠誠はほぼ放置してます。↑1の方、そうなったらなったで面白いですねー。忠臣は大事に育てていたのですが… -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01 02 28) あと、恥ずかしながらCOMに白兵戦で負けましたw しかも騎兵同士の…w -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01 03 44) 疾走は強すぎだ、とにかく森で逃げて闘うしかないですな!曹彰まじ最強っす -- 名無しさん (2011-10-02 19 38 13) 忠臣の誰かが裏切っても銀英伝のロイエンタールみたいでおもしろいかも。 -- 名無しさん (2011-10-05 19 18 48) トウタクと親愛設定されてる忠臣は無理だけど。 -- 名無しさん (2011-10-05 19 20 03) 筆者もこのままいくと忠臣7人しか残らないんじゃないかと心配し始めました。最初に親愛設定しておいてよかった。だが董旻は兄弟なので親愛つけてなかったんですよね・・・ -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 36 22) ↑4の方へ。曹彰の疾走は強いですね、やはり私の胡軫の疾走より撹乱率が高いようです。でも出来ればこのメンツで森での殴り合いは避けたいです… -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 41 09) ここまでお付き合い頂きありがとうございます。最近は敗戦続きでまだまだ董卓軍の戦いは続くようです。次回もお付き合いいただければ幸いでございます。 -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 43 14) 名前 コメント
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アンテイ 現在の甘粛省平涼市・慶陽市周辺。 胡遵ら胡一族の出身地である安定郡臨涇は現在の慶陽市鎮原県にあたる。 渭水の戦いの後、追撃した夏侯淵はこの地で涼州軍閥の一人である楊秋を下した。 基本情報 安定を攻める長安から 晋陽から 天水、武威から 安定を守る長安からの敵 晋陽からの敵 天水、武威からの敵 周辺地図 未発見武将 基本情報 収入は上級時のもの。初級だと25%増、超級だと25%減。 金収入 兵糧収入 開発地 港関 耐久 特色 400 5000 10(5+5) 0 2800 軍馬 開発地の数は小沛、新野、武陵、梓潼と並んで最低。本拠地にするには辛い。 領内の遺跡・廟候補地は1つ。非常に遠い。 長安もしくは武威の衛星都市としてセットで運用するのが基本。 武威-天水間の移動の際は安定領を通る必要があるので、安定がCOM勢力下にある場合は要注意。 安定を攻める 長安から 距離はそれなりに長いが、平地も多く施設でフォローが容易。 敵は騎馬部隊の扱いに優れていることが多いので、途中の森に槍部隊を潜ませて対処するといい。 晋陽から 一応繋がっていると知っておくのに留めよう。それでも攻めたい方は、移動力や兵糧の確保を入念に。 天水、武威から 城の周辺が砂地なので、敵の主力となる可能性が高い騎馬部隊に槍部隊で立ち向かうことが出来ない。本道の合流地点に陣を設置し、一旦迎撃態勢をとるといいだろう。 安定を守る 長安からの敵 長安方面からの敵は出来れば渡で防衛したいが、敵の方が近いのであらかじめ防衛施設を建てておかないと間に合わない。 渡を突破された場合は本道上を先行する敵部隊をまとめて火球で焼き、南北に散開したところを各個撃破しよう。こちらもある程度の部隊数と将が必要なので、楽に行くなら面倒でも渡付近での攻防に持ち込みたい。 安定南の開発地を真っ直ぐ狙って来ることもあり厄介。開発地付近はあらかじめ弓櫓などで固めておいて損は無い。 晋陽からの敵 攻められることはまず無い。 天水、武威からの敵 防衛施設は豊富に建てられるので、それらを用いて迎撃するのが良い。 敵は防衛施設のZOCをなんとか迂回しようと攻めてくるので、入念に建設しておきたい。騎兵に城周辺の砂地へ踏み込まれると厄介。可能なら土塁で塞いでしまおう。 西を固めていると武威の敵が北の隘路から回り込んでくることがある。隘路の先は森なので敵の騎馬隊の力を封じられるが、開発地も狙ってくるので注意。槍部隊を森に配置しておこう。 周辺地図 未発見武将 シナリオ番号の対応関係はこちらを参照。 年 名前 シナリオ 184 程銀 1 185 胡軫 1 12 186 徐栄 1 12 191 孟達 1 2 3 12 13 楊秋 1 2 12 195 法正 1 2 3 12 13 199 韓徳 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 218 戴陵 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 219 胡遵 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 馬鈞 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 226 徐質 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 236 (胡奮) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 239 (胡烈) 1 2 3 4 5 6 7 9 10 11 12 13 251 丘本 1 2 3 4 5 6 7 9 10 11 12 13 S14の未発見武将は 郝昭、郭淮、韓徳、牛輔、侯選、司馬望、秦朗、張横、馬謖、馬鈞、楊秋、李傕、李堪 S16の未発見武将は 秦朗、張横、楊秋、李堪
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カコウトン 列伝 曹操の重臣。前漢の夏侯嬰(かこうえい)の末裔。 【演義】 曹操の挙兵以後、常に従軍。董卓討伐戦では、徐栄に敗れた曹操を救出し、徐栄を突き殺す。呂布軍との戦いでは、曹性の矢を左目に受けながらも曹性を討った。劉備が諸葛亮を登用すると新野に侵攻するが、諸葛亮の火攻めに遭って大敗。鄴で耿紀(こうき)と韋晃が曹操に反乱を起こした時は鎮圧に当たった。劉備軍との漢中攻防戦で、曹操が漏らした「鶏肋」という言葉の意を楊修に尋ね、撤退を指揮。曹操が死ぬと後を追うように病死した。 【正史】 左目を失い盲夏侯と呼ばれる。曹丕の代は大将軍。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 89 90 58 70 81 388 179 237 順位 17 21 399 238 60 28 11 33 偏差値 64.2 64.1 49.6 56.1 61.4 65.3 64.9 63.9 成長期 維持 維持 維持 普通 維持 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 A B C S B C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 85 84 72 82 60 62 104 89 72 61 63 59 順位 23 25 58 59 89 130 13 7 22 40 70 75 偏差値 66.7 66.6 62.7 62.6 59.8 58.2 70.7 71.5 65.1 64.1 60.8 59.9 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 騎将 自分より武力の低い敵部隊への騎兵戦法成功時クリティカル マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 25 兗予 能力 中華統一 臨機応変 5/5 3/5 2/3 156 184 220(65歳) 自然死 猪突 猪突 豪放 顔グラの変更は40歳。 それより前でも弓攻撃を受けると低確率で顔グラ変化 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 故事 ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 夏侯惇 親愛 夏侯淵、曹洪、曹仁、曹操、田疇 夏侯淵、曹洪、曹仁、曹操、典韋 嫌悪 なし なし 血縁 世代 ● ● 1 夏侯惇 ● 夏侯淵 2 夏侯楙 夏侯徳 夏侯尚 夏侯覇 夏侯威 夏侯恵 夏侯和 3 夏侯玄 イベント イベント名 内容 矢を引き抜き目玉を食らう!(夏侯惇の特別イベント) 顔のグラフィックが変わり左目に眼帯をするようになる 虎を追うもの(典韋登用) 典韋がプレイヤー君主に仕官 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 29歳 未発見 陳留 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 35歳 一般 陳留 曹操 120 奮威校尉 3000 - - S3 194年 6月 群雄割拠 39歳 一般 陳留 曹操 120 奮威校尉 7000 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 45歳 一般 陳留 曹操 120 軍師将軍 19000 - - S5 207年 9月 三顧の礼 52歳 都督 許昌 曹操 120 安東将軍 26000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 56歳 都督 新野 曹操 120 安東将軍 26500 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 許昌 曹操 120 奮威校尉 2000 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 43歳 一般 濮陽 曹操 120 平東将軍 13000 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 48歳 一般 許昌 曹操 120 左将軍 22000 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 62歳 都督 新野 曹操 120 征東将軍 33000 - - S12 187年 4月 何進包囲網 32歳 一般 陳留 曹操 120 奮威校尉 1000 - - S13 191年 7月 序を制する者 36歳 一般 陳留 袁紹 99 長水校尉 5000 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 許昌 - - - 0 - - 固有セリフ 一騎討ち「さあて、真剣勝負だ!命のやり取りといこうじゃないか!」 「譙国の夏侯元譲とは俺のことだ!さあ、勝負せい!」 「手加減はできない性格でな!本気で行かせてもらうぞ!」 そんな小さいな間違い見逃せよ -- (名無しさん) 2011-06-15 01 31 43 4人組にそれぞれ連戦持ちを組ませ、曹洪・曹仁は騎兵をSにする(白馬持ちの公孫一族が最適) と、騎射の連戦+支援攻撃の嵐で、結構えぐいことになるのでは? -- (名無しさん) 2011-06-16 20 13 05 正史ではそれほど活躍されていない。戦争よりも内政で手腕を振るっていた。魅力はもっと高くてもよい。 -- (名無しさん) 2011-07-29 20 32 22 ↑確かに統率・武力は前線に出すだけでMAXいけるので、政治を育成してMAXにしてみてもおもしろいね。 -- (いにんと) 2011-09-02 23 59 49 ↑夏侯惇の政治を100にしてもメリットはほとんどないだろ そもそも育成だけじゃ100にはならんし -- (名無しさん) 2011-09-03 09 27 15 なるとしても100一人より80台三人のほうが良い ご利用は計画的に -- (名無しさん) 2011-09-03 13 15 23 魅力と統率の数値ひっくり返せばいい気がする -- (名無しさん) 2011-10-03 03 05 21 「歴戦の宿将」という感じの能力設定がgoodだ。 適度に厨臭くなく、後の中華最大の勢力の重鎮になるに納得できるだけの優秀さを持っている 曹操の片腕として、常に作戦の重要な箇所に組み込める -- (名無しさん) 2011-10-03 20 09 49 個人的に三国志の人間の中で一番好きな人なんだよな。 統率は博望坡の敗戦から仕方ないとしても、揚州方面26軍総司令官を務めたことから93くらい 武力は徐栄、曹性を一突き、曹魏一の猛将のイメージが内外に知れ渡ってるから華雄以上の94 知力は妥当 政治は軍政の実績、韓浩、典韋の推挙も有ったから80前後 魅力は誰もが大好き、曹操が万能のチートなら惇兄は人格チートで90くらい やっぱり蒼天と無双のイメージが強いな。 -- (名無しさん) 2012-01-26 21 10 51 チラシの裏でどうぞ -- (名無しさん) 2012-01-26 22 12 38 確かに 正史では、「土木工事の際に 農民と共に工事に参加した…」 …と記されているため、 かなりのヤリ手だったのでは? -- (麟華) 2012-03-02 03 47 57 いや、知力は低い 史書を見るに、失策も多いしかし 62位が妥当だと思う、 軍中おいても学問の教師を同行させたと云う つまり私は、全能力+5を推奨いたします(ばばーん) -- (李鵠葉) 2012-03-21 04 14 28 ㌧兄の列伝読むと、人質になった話とか、それこそ土嚢担いだ話だけで、功績はほとんど留守居役。 ぶっちゃけ、魅力以外は能力60前後でもまったくおかしくはない。 まあ演義だの史実だのはどうでもいいけど。 政治70は微妙でイイ感じだが、政治だけ成長曲線が普通・短なのが残念 -- (名無しさん) 2012-03-21 22 47 39 留守を任せられるくらい信頼できるってことでもある。 ゲームだと曹操配下の名将として戦場で長く活躍してくれるでしょう -- (名無しさん) 2012-03-22 02 26 16 ああっ…「矢を引き抜き…」のイベント後 武力-5、統率+5とかならリアルなのに… -- (名無しさん) 2012-04-25 09 24 13 「隻眼の筆頭将軍」が戦闘力低めってどーよ? っていうイメージ的な都合もあると思う 実績だけだったら関張もそんなに記述多いわけじゃないし 初期シナリオの弱小曹操が急成長するというゲームの展開的にも夏侯惇は前線でガンガン戦って貰わなあかんし とりあえず育てるなら知力一択。特技も騎将で問題無し。あまり論ずる余地も無い武将だな。 -- (名無しさん) 2012-10-20 02 43 21 正史寄りだけど素の能力をいじるのをためらう人は、とりあえず性格や口調だけ文官よりに抑えて愛を注いでいくと幸せになれる。 -- (名無しさん) 2013-02-05 02 53 04 彼は魏の軍政のトップ -- (名無しさん) 2013-04-04 17 58 23 夏侯惇の武力はもう少し高くても良いと思うのだが。関羽と互角に戦ったわけだし。武力95くらいはあっても良いと思う。 -- (名無し) 2014-02-13 19 08 15 統+武は高めだが、最高クラスと比べるとちょっと控えめ。 特技も単体では正直微妙なので、本領発揮は曹彰登場後となるだろう。彼の火力底上げ+兵力ブースターとして活躍できる。 なんかイメージと違う感じではあるが、趙雲だってゲーム上は劉封or関索のブースターなんだからキニシナイ。 できれば夏侯惇+曹彰の3人目には猛者もちが欲しいので、武力もそうだが知力も上げておきたい。曹彰の脳筋はどうしようもないが、夏侯惇は結構育成でなんとか防計ラインには到達できる。 -- (名無しさん) 2014-08-24 01 36 36 後方を任せられるって実は「目を離れたところで実権を握らせても大丈夫だ」と信頼されている証なんだよな。実際彼は曹操の寝室(どうしても無防備になる)に自由に出入りできたわけだし。 戦闘でも内政でも役に立ってもらえる能力。前線で出ずっぱりになることが多いため、功績の関係で前線の太守を任せることもあるだろう。だが、知力は60に満たないため単体では計略にかかりやすいので、知力補正の参謀を入れることを忘れずに。特技は疾風持ちの曹彰と相性が良い。 -- (名無しさん) 2016-11-09 08 29 31 こんな実際は雑魚武将な奴をヨイショせんでよろし -- (名無しさん) 2017-02-01 21 29 12 正史と演義で折半した感じのステである -- (名無しさん) 2017-04-15 01 06 17 劉備と夏侯惇はステ入れ替えたほうがいいんじゃないか?と思うときがたまにある 知力だけはそのままでもいいかもしれん -- (名無しさん) 2017-04-20 04 46 35 戦場での活躍は少なくても、曹操の背後を任せられるのは、力がなきゃ絶対無理。 濮陽で捕まったことを持って対した力がなかった根拠に挙げられたりもしてるけど、その時の夏侯惇軍は軽装で、呂布とは遭遇戦だった。にも関わらず一度は撃退し、その後策で捕えられたという経緯だから、むしろ夏侯惇すげえ。。 その後領内で起きていた反乱も即座に鎮圧できるぐらいの能力、統率力はあった。 挙兵時からずっと副将として曹操の戦を作ってきた男だし、兵の少なかった頃は前線にも出て戦ったこともあったろう。 曹操配下の中には、曹操のことは苦手でも、夏侯惇のことは好きって人も多かったみたいだし、飛び抜けた能力があるようには見えないものの、曹操の代わりとして影に日向に支えた人物なのだから、「雑魚武将」では絶対にない。 -- (名無しさん) 2017-10-01 00 16 19 今でいえばごついおっさんが現場で指揮している(現場監督か・・・。) なんか綺麗な作業服着た人がペコペコしてる(もしかして建設会社のOBとか上司?) なんかどう見ても建設会社の部長とかそこそこ偉い人がへーこらしてる(もしかして社引退した社長とか) なんか政治家の先生もへーこらしてる総理大臣の従兄弟で県知事(日本ぐらいの)とか国会議員とかだったよ -- (名無しさん) 2018-04-02 00 11 27 ↑意味がわからん。 -- (名無しさん) 2018-04-19 21 23 09 キャラもいいし、人気が出やすい武将だよね。 曹操との関係性も魅力的、個人エピソードも興味深いしいい人生を送ったってとこか。 -- (名無しさん) 2018-11-01 17 42 50 義理は高いし曹操とは相互親愛。能力も素晴らしいしな。 -- (名無しさん) 2018-11-02 19 18 10 強い -- (名無しさん) 2021-09-25 19 42 31 名前 コメント すべてのコメントを見る
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ジョウヘイ 現在の遼寧省遼陽市中心部。 後漢末期の混乱の中、徐栄の推薦で董卓政権から遼東太守に任命された公孫度は、半独立勢力としてこの地を固めた。 以後、司馬懿の討伐を受けるまで約40年に渡り遼東公孫氏の支配下となった。 基本情報 襄平を攻める北平から 海から 襄平を守る北平からの敵 海からの敵 周辺地図 未発見武将 基本情報 本作では半島中央部に都市が在るが、実際は遼水北東部(本作では開発地の最北部)に存在。 収入は上級時のもの。初級だと25%増、超級だと25%減。 金収入 兵糧収入 開発地 港関 耐久 特色 備考 400 5000 12(8+4) 1 2600 軍馬 堤防あり 開発地の配置がやや特殊で、バランス良く生産性を上げるには工夫が必要。 闘艦なしでも水上から開発地攻撃可能。ただし地理の関係上、COMにはまず攻撃されない。 領内の遺跡・廟候補地は1つ。遼東半島の先端。 北東の僻地だが幽州で唯一の港を持つため、渡海作戦の際は戦略的要地となりうる。 襄平を攻める 北平から 攻略部隊の戦力に余裕があるなら、本道と浅瀬の2方面から攻めると迎撃部隊を分散できて楽。本道を通るなら、北の渡のあたりで迎撃部隊と戦闘になる。足が速く戦法可能な地形が限られる騎馬部隊はこちらから攻めるといいだろう。兵器部隊の到着までに時間がかかるようなら、東にある堤防決壊を狙ってみよう。 浅瀬を通るなら(要難所行軍)、ちょうど浅瀬を抜けた付近で迎撃部隊と戦闘になる。渋滞しやすいので槍部隊を先頭に進軍するといい。 海から 都市の位置関係上、大軍が駐屯していることは少ないが、水上から狙える位置に兵舎が建っていたら1部隊を破壊に向かわせるのも手。 安平港を落とした後は湿地帯で迎撃部隊と戦闘になる。湿地帯を抜ければ草地が広がるので、陣や軍楽台を設置しながら攻城に取り掛かろう。 余裕があるのなら、上陸したついでに港脇の遺跡・廟候補地に立ち寄るといい。 襄平を守る 北平からの敵 敵の侵攻ルートを見極めることが大事。ゲーム後半は大抵浅瀬を通って進軍してくる。本道を通って攻めてくる敵は、北の渡付近に防衛施設を建てて対応するといい。やや距離があるので騎馬部隊メインで迎撃したい。 浅瀬を通って攻めてくる敵は、敵が湿地に足を取られている間に戟部隊で進路を塞ぎつつ、後方から弩を用いて迎撃するといい。湿地帯の中に2箇所ある草地は防衛施設の建設にうってつけ。敵は浅瀬を突破できても、ここに建てた防衛施設のZOCに必ず引っかかる。 海からの敵 近攻遠交の原則を守っていれば、このルートから攻められることはまずない。 攻められた場合は港は遠いので明け渡し、城の南の草地が広がる場所に防衛施設を築いて迎え撃つといい。 周辺地図 未発見武将 シナリオ番号の対応関係はこちらを参照。 年 名前 シナリオ 184 国淵 2 3 4 9 13 185 太史慈 12 186 (公孫康) 1 12 188 (公孫恭) 1 12 215 卑衍 1 2 3 4 5 6 9 10 12 13 216 倫直 1 2 3 4 5 6 9 10 12 13 219 (公孫淵) 1 2 3 4 5 6 9 10 11 12 13 221 賈範 1 2 3 4 5 6 9 10 11 12 13 楊祚 1 2 3 4 5 6 9 10 11 12 13 S14の未発見武将は 賈範、公孫淵、公孫恭、公孫康、公孫度、卑衍、楊祚、倫直 S16の未発見武将は 于詮、張闓
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